ダンス発表会、そして卒園

 今日は、八戸市公会堂大ホールでバレエの発表会です。尚己達は〈メンソーレ・オキナワ〉という沖縄民謡を踊ります。化粧をするとほんとうに星の王子様のようでした。二重瞼で、睫毛が長く、眉はスッとしているので、化粧映えがします。始まるまでは、私達がハラハラ、ドキドキ。しかし大舞台で所狭しと踊っていました。ちょっとずれた所がありましたが、とっても上手で素敵でした。この時、生まれてからの事が走馬灯の様に思い出され、溢れる涙を止める事が出来ませんでした。お母さん達も「良く振り覚えたね。」「尚ちゃん、可愛かったよ。すぐ尚ちゃんだって分った。」とお褒めの言葉を頂きました。感激して、一緒に涙してくれた人もいました。
 卒園のお別れ会でみんなで歌った「♪春の事ですー、思い出してごーらん。あんな事、こんな事あったでしょう」。この曲を聴くと本当に色々な事が思い出されます。そして園長先生と卒園しても三つの灯を大事にする事を約束しました。
「一、最後まで頑張る灯」
「二、お友達を大事にする灯」
「三、命を大切にする灯」。
だったのですが・・・。
 卒園式、尚己は六番目の入場です。菊地先生の「泥んこ遊びが大好きで、何でも一生懸命頑張る子でした。」と紹介され、園長先生から頂いた卒園証書を右手に高く持ち「やったよ」というような素振りで歩いてきます。その後「♪赤い花、摘んでー、赤い花、赤いはなー、お母さんの髪にー」の歌に六年間の想いが込み上げ、涙が止まりません。「お父さん、お母さんこんなに大きくしてくれて有難う。」カーネーションと卒園証書を尚己から預かった時、抱き締めたくなりました。式の後のリズム体操の発表でも、毬付き、かめさん、ブリッジ・・・と頑張り、大好きな太鼓を叩きながら「がっこういっても、べんきょうがんばるぞ。」と大きな声で言っていました。帰ってからお父さんが「尚己、お母さんがカッコイイと言ってたよ。」と言うと「おかーさん、見てないよ。ないてたもん。」と言ってました。

ピカピカの一年生

 平成十二年四月七日、今日から石鉢小学校の一年生です。入場行進の尚己は少しテレながらの入場です。入学式は四十分位で、立ったり、座ったりの場面が十回程ありましたが、心配していた親を尻目にしっかりやりました。教室では「田代尚己さん」と名前を呼ばれると「はい」と返事が出来ました。

母(田代祐子)から尚己へ(抜粋)

 なおが自然だから、かーさんいつの間にか自信を持って「この子は障害があるんだよ。」と話していた。普通に怒っていたね。でも怒れるって幸せ、嬉しい事だったんだね。亡くなった今は叱る事も出来ない。一緒に喜ぶ事も出来なくなった。
 なおはいつも楽しそうにしていたね。その笑顔が今も忘れられないよ。なおの笑顔は最高だったよ。いつでもまっすぐ前を見て歩んでいたなお。かーさんの生き甲斐だったよ。ゆっくりでも頑張れば何でも出来ると言う事を教えてくれたね。そして、障害を持っていても懸命に生きていればとっても輝いて見えるんだって事を教えてくれたよね。なおは、かーさん達にとっていつもかがやいていたし、生きる希望を与えてくれたよ。これからまだまだやりたい事たくさんあったのに。かーさんも一緒に楽しみたかったのに。
 かーさん、なおが亡くなって暫くすると、なおって本当にいたのかな?それとも今の現実が夢なのかなと思うようになってきたよ。そして、笑えなくなってしまった。なおの笑顔が、笑い声が聞こえないから、かーさんだけ笑ったらいけないと思ってしまう。でも昂己といるときだけは、笑うように頑張っているけど・・・。
 なおの存在が大きすぎて、いまだに家の中を探し回っている。あっちの部屋こっちの部屋、全部の部屋を探してもなおは見えなかった。全身全霊でなおを愛せると思っていたのに。どんなに言葉にしても言葉では言い尽くせない想いってあるんだね。
 二〇〇一年六月三十日からかーさんのときは止まったままだよ。いっそなおの元に行けたらどんなに楽か。この一年そればかり考えていたよ。でも家族を失う事がどんなに辛い事か、かーさんが一番知っているから、とーさんと昂己の為にまだなおの元に行けないよ。かーさんは今でも車を運転していても、突然涙が出てきてしまう。それはお父さんも龍かーさんもみんなそうなんだって。
 とーさんは、「仕事から帰って来ても『おかえりー』と元気に玄関まで迎えに来てくれるなおが居ないのが寂しい。」と話していたよ。そして、「お父さんがなおにしてやれる事はこれしかないから」と言いながら、なおと作っていた小さな花壇にお花の種を蒔いています。かーさんはなおの為に何が出来るだろう。今、手探りで探しているところです。
 「なお、とーさんとかーさんの子供に生まれてきてくれてありがとう。昂己もなおもかーさん達にはもったいない位の優しい良い子だった。だから落ち込んだり悲しんだりしているんだよ。なおとの八年と十一日はとても楽しいものでした。いろいろな事を私達に教えてくれたなお、たくさんの喜び、笑顔をありがとう。人の何倍も何十倍も努力するなおが大好きでした。とーさん、かーさん昂己だけでなく、お爺さん、お婆さん、龍一、龍かーさんみんなを幸せにしてくれて有難う。もっともっと一緒にいたかった。もっともっとたくさんの事をして色々な所に行きたかった。もう努力しなくていいんだよ。これからはゆっくりとお休み。」
 かーさんはきっとこれからも「なおの一生は八年だったけど尚己という笑顔のかわいい頑張り屋さんがいたんだよ。」って言い続けると思うよ。そして、かーさんもなおと頑張った八年と十一日を思い出しながらこれからは少しずつ、昂己となおの為に何が出来るか考えながら生きていこうと思っています。かーさんの命が終わったら真っ先に迎えに来てね。
今度は絶対に離れないように・・・