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米国で無罪決定、「揺さぶられっ子症候群、科学的に証明できず」

日本でも逮捕者多数の揺さぶられっ子症候群は「作られた虐待」か

2022.2.1(火)

JBPress記事はこちら

米国で無罪決定、「揺さぶられっ子症候群、科学的に証明できず」

 2022年1月7日、アメリカ・ニュージャージー州の上級裁判所で下された「乳児虐待事件」に対する無罪決定が、今、世界的に注目を集めています。

 77ページにも上るその膨大な決定文(https://drive.google.com/file/d/1cuL0JDkUOEz6oGR32HuW72UxKeigPRa5/view)の中には、以下のような一節がありました。

〈人間の乳児は、(中略)サル、木製の人形、その他の擬人化されたダミー人形とは全く異なる〉

〈一人の人間が、AHT(乳幼児の虐待による頭部外傷)として定義される三徴候(①硬膜下血腫、②眼底出血、③脳浮腫)を引き起こす揺さぶりができるかどうかのテストがなされたこともない以上、(中略)科学的または医学的証拠として不正確かつ誤解を招くように提示されうる「ジャンク・サイエンス」に類似しており、刑事裁判での因果関係の証明のために使用するには、強く予断を与える一方、きわめて低い証明力しか与えないこととなりうる〉

 つまり、いくらダミー人形での実験を重ねたとしても、その結果は実際に人間の赤ちゃんが揺さぶられたときに被る影響と同じであるとは限らない以上、刑事裁判での証明にはならない、というのです。

ダミー人形を用いた実験データが虐待の根拠に

 人間の赤ちゃんは「サル」や「人形」ではありません。にもかかわらず、これまで「児童虐待の専門家」と称する人々は、長年にわたって動物やダミー人形等を使った実験のデータを「SBS(乳幼児揺さぶられ症候群)」および「AHT(乳幼児の虐待による頭部外傷)」の根拠として使ってきました。

厚労省が作成した揺さぶられっ子症候群予防のためのビデオ『赤ちゃんが泣きやまない』の画像。厚労省も「虐待に詳しい」と称する一部の内科医や小児科医の意見に頼り、「揺さぶられっ子症候群」理論を固く信じている

厚労省が作成した揺さぶられっ子症候群予防のためのビデオ『赤ちゃんが泣きやまない』の画像。厚労省も「虐待に詳しい」と称する一部の内科医や小児科医の意見に頼り、「揺さぶられっ子症候群」理論を固く信じている

 そして、アメリカのみならず、日本でもその“仮説”によって、多くの保護者たちが身に覚えのない『揺さぶり虐待』を疑われ、理不尽な親子分離や刑事訴追されてきたのです。

 SBSやAHTに関する冤罪事件については、我が子や孫への虐待を疑われたという複数の当事者から、切実な訴えが寄せられ、たびたびレポートしてきました(一例として以下参照)。

(参考)虐待裁判で逆転無罪、無実の祖母を犯人視した専門家
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58199

 また、筆者は、誤認逮捕された保護者らの過酷な体験、脳神経外科ら専門家の声、SBSやAHT理論の問題点を取材し、『私は虐待していない 検証 揺さぶられっこ症候群』(柳原三佳著/講談社)という書籍にもまとめました。

『私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群』(柳原三佳著、講談社)

『私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群』(柳原三佳著、講談社)

 そして、驚くべきことに、同書で取り上げた大半の事案で、ここ1~2年の間に相次いで無罪判決が確定したのです。

 有罪率99%を超える日本の刑事裁判において、これはまさに「異例」ともいえる事態です。

「揺さぶられっ子症候群」発祥の地であるアメリカの裁判所が否定

「乳幼児揺さぶられ症候群」事件の弁護を手がけ、数多くの無罪判決を勝ち取ってきた秋田真志弁護士は、1月16日、自身が共同代表をつとめる「SBS検証プロジェクト」(https://shakenbaby-review.com/)のブログ『SBS(揺さぶられっ子症候群)を考える』 (http://shakenbaby-review.com/wp/)に、「新年早々、アメリカから重大なニュースが飛び込んできました」として、こう述べています。

〈このたび、ニュージャージー州の上級裁判所におけるフライ審理(Frye Hearing*)において、「AHTに関する証言は信頼できる証拠ではなく、証明的価値よりも偏見的価値の方がはるかに高いため、本件では許容されない」とされ、検察側証人がAHTについて証言することを禁止する決定が出されました。SBS/AHT仮説の発祥の地でもあるアメリカにおいて、このような判断がなされたことはきわめて重要です〉

*Frye Hearing=アメリカで、陪審裁判に先立ち、当事者から証拠請求された科学的証拠の許容性を審査する審理。日本にはこのような審理手続はないが、アメリカでは陪審に科学的に不確かな証拠で誤った予断を与えないために行われる。

 今回、裁判官が「ジャンク・サイエンス」という言葉まで使い、検察の主張を一蹴した無罪決定。この裁判とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。

 秋田弁護士にお話を伺いながら、概要を見ていきたいと思います。

一人の虐待専門小児科医が「揺さぶり虐待」と鑑定

――まず、この事件について教えていただけますでしょうか。

秋田真志弁護士(以下、秋田) 2017年2月、ダリル・ニーブスさんという父親が生後11カ月の男児のおしめを替えていました。その途中、突然、男児がぐったりし、反応しなくなったのです。驚いたダリルさんは、妻のルーシーさんに男児の症状を見せ、すぐに救急車を呼びました。搬送先の病院で、男児には急性硬膜下血腫や広範な多層性の眼底出血が確認されましたが、頭部などの外表には、何ら異常所見は認められませんでした。

記者会見を行う秋田真志弁護士(筆者撮影)

記者会見を行う秋田真志弁護士(筆者撮影)

――外表に傷はなかったけれど、硬膜下血腫や眼底出血など、いわゆるSBSやAHTの兆候が見られたわけですね。

秋田 そうです。頭部の検査結果から、AHT、つまり“乳幼児の虐待による頭部外傷”の疑いがあるとされてしまいました。しかし、ダリルさんもルーシーさんも、当初から虐待はもちろん、男児が頭部に傷害を負うような事故などなかったと明確に否定しました。

――この赤ちゃんには病気などの可能性はあったのでしょうか。

秋田 実は、この男児は妊娠25週で産まれ、出生以来、多くの健康上の問題を抱えていました。

――早産児だったのですね。

秋田 はい。実際に生まれてから4カ月の間に、この赤ちゃんは2度も心臓手術を受けていました。また、発症の数日前から、突然ぐったりするといった症状を繰り返していたそうです。これらの事情から、男児に見られた急性硬膜下血腫、眼底出血が、暴行などの外力によるものなのか、それとも、早産や先天性の疾患に関連した内因性のものなのかが問題となったのです。

――こうしたハイリスクの赤ちゃんに対しても、その症状から「虐待」が疑われたということなのですね。誰がそのように判断したのですか。

秋田 鑑定意見を求められたのは、児童保護センターのグラディベル・メディナ氏という小児科医でした。この医師は約2カ月後、「インパクトを伴う、もしくは伴わない揺さぶりによって生じる、特異的な虐待性頭部外傷(AHT)であることが、医学的に合理的な確からしさをもって言える」とし、「児童虐待である」と判断したのです。

我が子への虐待疑われ「暴行罪」などで起訴された父親

――虐待となれば、捜査機関が事件として調べるわけですね。

秋田 そうです。この小児科医の鑑定意見を受けて、警察がダリルさんとルーシーさん夫妻を取り調べました。ダリルさんは「揺さぶり」を否認し、ルーシーさんも「夫が男児を乱暴に扱ったことなど見たことはない」と説明しました。しかし、この夫婦の説明は聞き入れられず、約1年後の2017年、ダリルさんは加重暴行罪などで起訴されてしまったのです。

――体の外表に痕跡がなく、暴力そのものの証拠がないのに、起訴される・・・。SBS/AHTをめぐる捜査機関の強硬的な姿勢は、アメリカも日本も同じですね。

秋田 そのとおりです。検察官は、頭の中の症状だけではなく、暴力そのものの存在を証明しなければなりませんが、その証拠はありません。その代わりに、検察官が訴追の拠り所としたのは、メディナ医師の意見でした。彼女はニュージャージー州の医学界では、虐待問題についての第一人者として指導的立場にある人物で、25年以上の経験がありました。虐待を主張する医師の意見のみを鵜呑みにし、被疑者の言い分に耳を貸さない、ここに本質的な問題点があると言えるでしょう。

――ダリルさんの弁護士はどのように闘ったのでしょうか。

秋田 弁護側は「メディナ医師の供述はSBS/AHT仮説に依拠するもので、科学的証拠としての許容性がない」としてその排除を求めるため、科学的な検討を行う「フライ審理」を申し立てたのです。そして、専門家証人として、眼科医、放射線科医、生体工学の専門家などが証言台に立ちました。

裁判官が「揺さぶり虐待」の根拠を徹底的に否定

――今回、ニュージャージーの裁判所は、こうした専門家の証言にしっかりと耳を傾け、検証してくれたわけですね。

秋田 はい。その結果が、全文77ページにわたる詳細で膨大な決定文にまとめられました。そして、結論として、SBS/AHT仮説の科学性を完全に否定したのです。その主要な部分をごく一部ではありますが、以下に抜粋してみたいと思います。

●〈文献や証言から明らかなのは、AHTは、科学的・医学的に信頼できる診断となりうる科学的・医学的な技術や手順によって発展したものではなく、診断として医学的・科学的に検証されたことがないことである。特にメディナ医師の証言を通じて明らかになったのは、AHTは、診断医が他の診断の選択肢がなくなったことにより示される一つの選択であって、診断というよりも推測であるということである〉

●〈メディナ医師は、AHTに関連する乳幼児の症状を引き起こすのに必要な物理的な力を「人間が作り出すことができる」ということを証明できるテストを挙げることができず、また文献の中でも言及することができなかった〉

●〈被告人がこの事件の被害者に外傷を与えたという証拠はなく、AHTは、信頼できるテストによって開発された事実に基づくのではなく、憶測と外挿(*引用者註:「外挿」とは既知のデータから未知の事象を予測することです。比較対象として適切でないデータを用いれば、予測も誤ってしまいます)に基づく理論に由来する、欠陥のある診断法である〉

●〈AHTが実際に病態を引き起こす外傷を説明する有効な診断であることを示す証拠は何もない。(中略)小児を揺さぶることでAHTに関連する三徴候が引き起こされるという仮説を検証した研究はなく、これを認める根拠はない〉

 つまり、今回のニュージャージーの決定は、そもそも生体工学的に、人間の手による揺さぶりによって三徴候が生じうるという証明自体がなされていないことを正面から指摘し、科学的・医学的証拠として十分ではないとしたのです。

今回の決定が今後の裁判に与える大きな影響

――赤ちゃんの急変から5年近い歳月を要しましたが、結果的に、メディナ医師の鑑定結果は全否定され、父親であるダリルさんの無実が認められたのですね。

秋田 そうです。まさに今回の決定は、SBS検証プロジェクトのブログで繰り返し述べて来た「SBS/AHT仮説をゼロベースで見直すべき」との主張と軌を一にするものでした。同時に、SBS/AHTの診断で頻繁に用いられる「消去法的手法」(他の原因が分からなければ「揺さぶり」と認定する方法)の誤り・危険性を指摘するものと言えます。

 最近、日本では元裁判官が、SBS/AHT仮説に関連して「合理的なものと考えられる」とか、「激しい揺さぶりなどで3徴候が生じ得るという受傷機序自体は、裁判所でも法則性のある『経験則』として認められている」などと論じておられるのですが、「SBS/AHT擁護論」とも言えるこうした論考は、今回のニュージャージー州裁判所の決定によって真っ向から否定されたというべきでしょう。

――今回の決定は、今後、日本の裁判にも影響をあたえるのでしょうか?

秋田 日本の裁判でも、当然参考にされるべきです。アメリカのSBS/AHT仮説を輸入するかたちで「揺さぶり虐待」を疑い、これまで多くの有罪判決を重ねてきた日本の裁判実務でも、無視してはならない決定です。

――これをきっかけに、SBSやAHT裁判の流れが変わり、理不尽な親子分離や冤罪に苦しむ保護者たちの救済につながることを期待したいと思います。ありがとうございました。