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冤罪で獄中29年、布川事件元被告・桜井昌司氏を追ったドキュメンタリー映画

無実の罪で逮捕された日をなぜ『オレの記念日』と呼べるようになったのか

2022.4.5(火)

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冤罪で獄中29年、布川事件元被告・桜井昌司氏を追ったドキュメンタリー映画

 4月2日(土)、東京の日比谷コンベンションホールで、ドキュメンタリー映画『オレの記念日』(金聖雄監督作品)の完成披露上映会と舞台挨拶が行われました。

 レンガ造りの千葉刑務所を外から眺め、ここでの暮らしを“懐かしむ”シーンから始まる105分の作品、その根底に流れる「冤罪被害」というテーマはあまりに重く、日本で暮らすことが心底恐ろしくなるほど深刻な問題を突き付けられます。

 ところが、本作品を見終えた後、私は不思議なほどの清々しさを感じていました。

身に覚えのない「強盗殺人」の罪

 この映画の主人公で、「布川事件」の元被告・桜井昌司さん(75)は、少しはにかみながら、自らを「選ばれし者」と称します。そして、こう言うのです。

『苦難は喜びの種。どんなに辛いことや苦しいことがあったとしても、それを喜びに変えられるのが人生だと思っています……』

 全く身に覚えのない「強盗殺人」の罪をでっち上げられ、犯人として嘘の自白を強要されたのは桜井さんが20歳のとき。裁判では無実を訴えながらも、結果的に無期懲役の判決を下され、その後、29年間にわたる獄中生活を余儀なくされます。

 しかし、常人ならとても受け止めきれない壮絶な体験をしながらも、桜井さんはあえてそうした出来事に遭遇した日を「記念日」と呼び、常に前向きに歩み続けてきたのです。

 このドキュメンタリーは、再審無罪を勝ち取った2011年の前年から12年間、桜井さんの日常にカメラを向けて制作されました。

 再審請求への闘いのほか、刑務所での日々の回想、出所後の仕事、妻となる恵子さんとの運命の出会いと結婚生活……、そして、全国各地で苦しむ冤罪被害者への支援活動など、金監督との信頼関係が生み出した、まさに日本史に残る貴重な映像記録といえるでしょう。

決して捨てなかった「出所したら無罪を勝ち取る」との希望

「布川事件」は、今から半世紀以上前の1967年8月、茨城県利根町布川で発生した強盗殺人事件です。しかし、その捜査は当初から、全くでたらめなものでした。

 住宅の中で大工の男性(当時62)の他殺体が発見されるも、捜査は難航し、茨城県警は当時地元の不良青年だった桜井昌司さんと杉山卓男さん(2015年に死去)を別件逮捕。決め手となる物的証拠のないまま、この2人に対して強盗殺人容疑で、厳しい取り調べを開始します。そして、事実無根の自白を強要。ついに、虚偽の供述調書が作り上げられてしまったのです。

 桜井さんは振り返ります。

「やってもいないことをなぜ自白できるんだ? 多くの人はそう思われることでしょう。でも、警察がいったん、『こいつが犯人だ』と決めたら、白を黒と言うまで徹底的に厳しく責められるんです。その取り調べは、本当に辛いものです。警察は事件現場の状況をよく知っていますからね、例えば『ズボンの色は黒じゃなかっただろう、青色だったんじゃないか……?』そんな感じで誘導され、事件に至るまでの詳細な調書が仕上がっていくわけです」

 20歳という若さですべての自由を奪われ、刑務所に拘束されながらも、桜井さんは『どうせここから出られないのであれば、楽しく、一生懸命生きていこう』そう決めたそうです。

 しかし一方で、いつか「娑婆」に出たときには、無罪を勝ち取るという夢も捨ててはいませんでした。そして、29年という気の遠くなるような歳月を経て、ようやく仮出所を果たしたとき、その夢の実現に向かって闘いを開始したのです。

「布川事件」のその後については、これまでたびたび報道されてきたので記憶している方も多いでしょう。

 2009年12月に再審開始が決定し、2011年5月、無罪判決が確定。そして、2021年8月、東京高裁は警察、検察の取り調べの違法性を認定し、国と県に対して計約7600万円の賠償を命じる判決を言い渡しました。事件発生から54年、布川事件はすべてが逆転し、桜井さんは名誉を回復することができたのです。

 そんな大きな動きの最中、実は桜井さんは2019年、余命1年の宣告を受けていました。病名は末期がん。すでに転移が見られ、手術ができない状態だったそうです。しかし、そうした運命も前向きに受け止めた桜井さんは、宣告された命の期限を奇跡的に乗り越え、2021年の国賠訴訟判決、そして2022年春の映画の完成披露も無事に迎えることができたのです。

組織の体面を守るためなら何でもしてしまう体質

 また、2019年3月、桜井さんは「冤罪犠牲者の会」を立ち上げました。 (冤罪犠牲者の会 ホームページ:enzai.org

2019年冤罪犠牲者の会結成で挨拶をする桜井さん(筆者撮影)

2019年冤罪犠牲者の会結成で挨拶をする桜井さん(筆者撮影)

『オレの記念日』のエンドロールには、冤罪を訴える被害者の名前と数々の事件名が次々と映し出されます。これだけ多くの人々が、違法捜査に苦しめられているのかと思うと、背筋が寒くなる思いがしました。

 その中のひとつ、「高知白バイ事件」は、私が当初から取材を続けてきた事件でもあります。桜井さんとは、この事故で実刑判決を受けた片岡晴彦さんを激励するため、一緒に高知まで足を運んだこともありました。

高知

高知白バイ事件で実刑判決を下された片岡晴彦さん(右)と桜井さん(左)と筆者(中央)

 上映会後の舞台挨拶では、桜井さんの口からこんなコメントも飛び出しました。

「高知白バイ事件は、たまたま白バイに乗っていた人が自分でバスにぶつかっていって死んだのに、『バスが動いていた』ということになりました。それは、たまたまその1週間ほど前に、警察庁から『一般公道で追尾訓練をするな』という通達が出ていたのに、それを無視してやっちゃったから、彼ら(警察)は組織の対面を守るために、片岡さんを餌食にしたのです。つまり、組織の対面を守るために、彼らは何でもやってしまうんです……」

2019年冤罪犠牲者の会結成で挨拶をする桜井さん(筆者撮影)

2019年冤罪犠牲者の会結成で挨拶をする桜井さん(筆者撮影)

 桜井さんは、国家権力が「組織を守る」ことを優先するあまり、これまで多くの冤罪被害者が生み出されてきたと指摘します。そして今も、全国各地で多くの人が冤罪に苦しみながらも声を上げられないまま苦しんでいるはずだと。

怒り、恐怖とともに「清々しさ」を感じる作品

 冤罪は、本人の人生はもちろん、家族の人生も大きく狂わせます。常に明るく、前向きに突き進んできた桜井さんですが、無罪を勝ち取る前に亡くなっていった両親の悲しみや無念さを口にするときには、いつもその目に涙が浮かんでいました。

 この、取り返しのつかない過酷な被害について、当時捜査にかかわった担当者や、無期懲役の判決を下した裁判官はどう思っているのでしょうか。また、国はどこまで理解し、再発防止に向けてどのような取り組みをしているのか……。

 終始、言いようのない怒りと恐怖に心が震えるのですが、それでもやはり、この映画を見終えた後には、冒頭にも書いたとおり、清々しく、前向きな気持ちになれるのですから不思議です。

 それはきっと、作品の中にいくつも織り込まれている、桜井さんの透き通った歌声も、大きな役割を担っているのだと思います。

 桜井さんにはどうか1日でも長く、元気で歌い続けていただきたいと願うばかりです。

 次回の完成披露上映会は、5月14日(土)東京都小金井市、5月28日(土)は大阪府東成区にて開催予定です。

 日時、場所等の詳しい内容は、下記サイトをご覧ください。

●『kimoon Film』kimoon Film (https://kimoon.thebase.in/)

『オレの記念日』、ぜひ多くの方に見ていただきたい作品です。