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法医学者が指摘、パンデミック下で「変死体の解剖」が肝要な理由

2021.9.17(金)

JBPress記事はこちら

法医学者が指摘、パンデミック下で「変死体の解剖」が肝要な理由

数字に表れない感染死者はもっといる、実態把握のため死因究明を

 9月13日、以下のニュースが報じられた。

■コロナ病院外死亡 8月最多250人 自宅等218人 警察庁
https://mainichi.jp/articles/20210913/k00/00m/040/176000c

 記事によると、自宅や外出先、つまり医療機関以外で死亡した変死体のうち、新型コロナウイルスの感染が確認された人は、8月ひと月で250人にのぼったという。

 日本で新型コロナウイルスによる死者が出始めた昨年3月から今年8月までの18カ月間でみると、その累計は817人。今年8月の感染死者がいかに多かったかがわかる。

 ところが、専門家からはこの数字自体に「少なすぎるのでは」との疑問の声が上がっている。

 今月、『新版 焼かれる前に語れ―日本人の死因の不都合な事実』(WAVE出版)を上梓した、千葉大学と東京大学で法医学教授を兼務する岩瀬博太郎氏に話を伺った。

(聞き手:柳原三佳)

――8月に発見された変死体における新型コロナウイルスの感染者数ですが、法医学の現場におられる岩瀬教授からご覧になって、いかがでしょうか?

岩瀬博太郎教授(以下、岩瀬) 今回報道されたのは、あくまでも警察が把握した数です。これ以外にも、検案に当たった医師が警察へ異状死届け出をしていないケースや、死後のPCR検査などをしないで終わっているケースも相当あると思われるので、実際の数はもっと多いのではないでしょうか。

岩瀬博太郎教授と仕事場でもある千葉大学の解剖室(筆者撮影)

岩瀬博太郎教授と仕事場でもある千葉大学の解剖室(筆者撮影)

――当たり前のことですが、死体は咳やくしゃみはしません。でも、感染者の場合、死亡した後も数日間は体内にウイルスが残っている場合があるそうですね?

岩瀬 はい。死体になっても、数日間はウイルスが残っている場合があります。

――死体の場合、感染の有無はどのように調べるのですか?

岩瀬 生きている人と同じく、鼻やのどを綿棒等で拭い、それを検査すれば陰性か陽性かはわかる可能性があります。ですから、本来はすみやかにPCR検査を実施し、それから解剖をおこなう必要があるのですが、今回の政府の対応は極めて鈍かったように見えます。新型コロナウイルスに感染している変死体が病院以外の場所で発見されることは十分想定できていたはずなのに、後手後手どころか、無策といってもいいほど何も対応してこなかったように感じます。

感染防止策が十分でなかった解剖室

――具体的にどのような点において「無策」だったのですか?

岩瀬 たとえば、PCR検査は、検視や検案時に採取した試料を使って、民間企業や法医学教室などが保有する機材を活用すれば実施が可能だったと思われるのですが、多くを保健所に頼ってしまったため、結果的に保健所がパンクしてしまい、多数の変死体が検査も解剖もされないまま火葬場に運ばれてしまいました。「検疫法」や「死因身元調査法」という法律では、今回のようなパンデミックといわれる事態になった場合、疑わしい変死体は解剖を実施して、正確な死因と病原体を突き止めることができると定めています。ところが、今の政府の動きを見ていると、そのような動きをしているようにはまったく思えないのです。

千葉大学大学院法医学教室の解剖室(筆者撮影)

千葉大学大学院法医学教室の解剖室(筆者撮影)

――もし解剖が行われていたら、どのようなことがわかるのでしょうか。

岩瀬 解剖を行うことで、心臓や肺、腎臓、肝臓など、さまざまな臓器の状態はどうだったのかまで詳しく調べることができます。つまり、新型コロナウイルスが原因だったのか、もしくは別の疾患による死だったのかを判断することができます。こうした詳しい検査は、後々のウイルス対策につながる可能性も出てくるのですが、現実にはなかなかそこまでできていないのが現状です。とにかく、感染症は公の問題なので、国や県都道府県がしっかり対応し、どの地域で発生しても、きちんと解剖や検査が行われ、そのデータが共有されるべきなのです。

――しかし、実際には解剖を行いたくても、現場が対応しきれないというのも歯がゆい現実だったようですね。

岩瀬 そうなんです。我々法医学者が日々執刀する解剖室の設備自体、ウイルスの感染防止対策が進んでいないので困りました。一時は、解剖時に必要な防護服等の調達も十分ではなかったため、私などは少しでも感染リスクを下げるために、電動ファンつき呼吸保護具まで試作したほどでした。今回の新型コロナウイルスは、飛沫感染と接触感染で広がるとされているので、理論的には結核事例と同じような対応で解剖すればよいはずなのですが、問題は、そもそも『本当にそれでいいのか?』ということすらわかっていないことなのです。いずれにせよ、変死体に一番最初に接触する警察官や解剖に従事する我々に対するワクチン接種は、本来はもっと早く優先的に実施されるべきだったと思います。警察官も気の毒です。

解剖を担当する法医学者は感染の危険と隣り合わせ

――私たち国民は、毎日発表される都道府県別の感染者数や死者数に、一喜一憂していますが、岩瀬教授のお話を伺っていると、実は、自宅での孤独死や屋外での行き倒れ、事故死、自殺など、警察が扱う変死体の中には、かなりの数の感染者が含まれているのかもしれませんね。

岩瀬 おっしゃる通り、毎日発表されるあの数字が正確にカウントされているのか、はなはだ疑問です。とにかく、我々法医学者も、MERS(中東呼吸器症候群)や新型コロナウイルスのような危険な感染症が蔓延している時期は、常に緊張を強いられます。路上で行き倒れた人を解剖する場合なども、なにが原因かがまったくわからず、感染のリスクにさらされるため、まさに死の危険性も感じながら解剖しているのが現状です。

――ワクチン接種が進み、近い将来、新型コロナウイルスが沈静化したとしても、この先、危険な新種の感染症が日本に入ってくる可能性がないとは言えませんね。もし、エボラ出血熱のような感染症が日本に入ってきたらどうなるのでしょうか・・・。

岩瀬 今のままではとても不安ですね。死体検案は医師法が定めた医師の義務であり、医師法は厚労省の所管する法律です。しかし、日頃から、警察が立ち会う検案については、厚労省は他人事で、なんら検査手段を与えてきませんでした。その結果、変死や異状死を検視する警察官、検案医は、ほぼ丸腰状態で、危険にさらされながら死体を見ているのが現実です。私も含め、こうした職種の人たちが感染によって死亡した場合、その責任はどこにあるのでしょう。おそらく、検案における検査について不作為を続けた厚労省にあるのではないか・・・、私はそう思いますね。国には、「検疫法」や「死因身元調査法」にのっとって、事前に最悪の事態をシミュレーションし、その場合どうすべきなのかという明確な指針を早急に作ってもらいたいと思います。

『新版 焼かれる前に語れ―日本人の死因の不都合な事実』(岩瀬博太郎著、柳原三佳著、WAVE出版)

『新版 焼かれる前に語れ―日本人の死因の不都合な事実』(岩瀬博太郎著、柳原三佳著、WAVE出版)