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【聴覚障害女児死亡事故】から4年 「逸失利益裁判」にかける父の決意

2022.2.1(火)

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【聴覚障害女児死亡事故】から4年 「逸失利益裁判」にかける父の決意

「『あの日から、時間が止まったまま……』被害者・遺族の言葉として、このフレーズをよく耳にします。本当にその通りですね。私たち家族も、あの日から4年間、ずっとこの言葉通りの生活を送っています。事故さえなければ、娘はこの春から高校生になっていたはずでした」

 そう語るのは、大阪府豊中市在住の井出努さん(49)です。

 2018年2月1日、それは、大阪府立生野聴覚支援学校の前で起こりました。

 友達や先生と一緒に下校途中だった井出さんの長女・安優香ちゃん(当時11)が歩道で信号待ちをしていたそのとき、道路工事をしていたホイールローダーが突然暴走し、至近距離から突っ込んできたのです。

 この事故で安優香さんが死亡、一緒にいた児童2人と教員2人も重傷を負いました。

事故から4年目の朝、今年も安優香さんが通っていた学校の花壇には、無記名の可愛い花束が供えられていた(遺族提供)

事故から4年目の朝、今年も安優香さんが通っていた学校の花壇には、無記名の可愛い花束が供えられていた(遺族提供)

 加害者の男(当時36)には「難治てんかん」という脳の病気がありました。
意識を失うような発作がいつ起こるかわからない難病で、男は過去にも当て逃げや人身事故を起こしていました。そのため、医師や家族は再三「運転しないように」と注意していたそうです。にもかかわらず、虚偽の申請をして免許証を取得し、仕事で重機の運転を続けていたのです。

 事故の翌年、大阪地裁は、『本件事故時はてんかん発作で意識を喪失していた』と認定。『てんかんの危険性を軽視していたと言わざるを得ず、厳しい非難に値する』として、危険運転致死傷罪の成立を認め、懲役7年(求刑懲役10年)の判決を言い渡しました。加害者は現在、刑務所に服役中です。

 井出さんは振り返ります。

「4年前のあの日、私は安優香と一緒にご飯を食べ、自宅から江坂駅までの1キロの道のりを、手をつないで歩きました。そして、いつもの電車に乗って梅田駅に着きました。この駅で乗り換える安優香に、『今日も頑張ってね』と手話で話しかけると、安優香は『うん』と縦に首を振り、そして、ハイタッチをして電車を降りました。そして、エレベーターの前で再度手を振ってくれたので、私も車内から手を振りました。これが安優香との最後の時間になったのです」

手話サークルで笑顔を見せる安優香さん(遺族提供)

手話サークルで笑顔を見せる安優香さん(遺族提供)

■民事裁判で突き付けられた理不尽な障害者差別

 刑事裁判は約1年で終結しました。
ところが井出さんは、その後始まった民事裁判で、これほど苦しめられるとは想像もしていなかったといいます。

「事故から2年後の2020年3月、私たちは加害者と雇用会社を相手に損害賠償を求める民事訴訟を起こしました。しかし被告側(*任意保険会社/三井住友海上)は、安優香が生まれつきの難聴だったことから、将来得られたはずの収入である逸失利益について、『一般女性の40%で計算すべきだ』と主張してきました。『聴覚障害者には、9歳の壁、という問題があり、高校卒業時点での思考力や言語力・学力は、9歳くらいの水準に留まる』というのがその理由です。これはまさに、障害者差別です。安優香の11年間の努力と将来への夢をこのようなかたちで否定され、私たちの精神的苦痛は増すばかりでした」

 事故後、引きこもりがちになり、寝込むこともあったという井出さん。民事裁判の心労も重なり、たびたび幻聴が聞こえるようになったと言います。

「私の耳から、『どうして、どうして安優香が悪いの……』という娘の声が離れませんでした。そして、悲しげに訴える安優香の目には、いつもこぼれ落ちそうな大粒の涙が溜まっているのです」

11歳の誕生日に父の勉さんと。これが安優香ちゃんにとって最後のバースデーケーキとなった(遺族提供)

11歳の誕生日に父の勉さんと。これが安優香ちゃんにとって最後のバースデーケーキとなった(遺族提供)

■全国から寄せられる怒りと、温かい支援の輪

 しかし、安優香さんのこれまでの頑張りは、人々の心に届き、たくさんの人を引き寄せ、大きなうねりをおこしました。

 2021年2月、朝日新聞の夕刊に安優香さんの裁判の記事が掲載されると、井出さんの弁護士のもとに、聴覚や視覚に障害を持つ弁護士から「ぜひ力になりたい」との連絡が寄せられたのです。

 日本には重い障害がありながらも、努力を重ねて司法試験に合格し、法曹界で活躍している弁護士がいます。こうした人たちから見れば、「聴覚障害者の収入は健常者の40%にとどまる」という今回の被告の主張には看過できないものがあったのでしょう。

 また、井出さんのもとにも「大阪聴力障害者協会」などから、支援の申し入れが次々と飛び込んできたといいます。

「私は安優香が人を引き寄せ、奇跡を起こしてくれていると感じました。まもなく、大阪聴力障害者協会の呼びかけで障害者差別に異議を唱える署名活動が始まり、わずか1か月足らずで10万筆を超える署名や心温まるお手紙が全国各地から寄せられました。そして、年末までに11万筆が集まるという結果となったのです。私は思わず涙が溢れ、空を見上げながら、あの世にいる安優香に『皆さんに感謝だね』と語りかけました。改めて、署名に賛同して下さったみなさまに御礼申し上げます」

 現在、原告の井出さん側には聴覚や視覚に障害のある弁護士をはじめとする総勢35名の大弁護団が結成され、「障害者であっても、基礎収入は全労働者の平均賃金を採用すべき」という主張を展開しています。

 一方、被告側は2021年8月、「原告らの指摘により聴覚障害者の平均賃金の存在を知った」として、裁判の途中で賠償額を算出するための「基礎収入」を「健常者の平均賃金」から「聴覚障害者の平均賃金」に変更し、算出しなおしてきました。

 当初は「聴覚障害者の収入は健常者の40%」だとして、基礎収入を153万520円としていたのですが、新たに294万7000円に引き上げたのです。

 とはいえ、この金額も、健常者の基礎収入から見ればかなり低いものです。
 裁判官がこれをどのように判断するか、大きな注目が集まっています。

大阪地裁へ署名を届ける井出さん(左から2人目)と支援者たち(遺族提供)

大阪地裁へ署名を届ける井出さん(左から2人目)と支援者たち(遺族提供)

■音声認識アプリに関心を示した裁判官

 2021年12月15日、大阪地裁で10回目の裁判が開かれました。

 井出さんはこの日、法廷で起こったことを振り返ります。

「当日は朝からいい天気でした。私は娘の存在を感じながら空を見上げ、仏壇に手を合わせ、いつものように遺品の『補聴器』を胸ポケットに入れて裁判所へ向かいました」

安優香さんが事故のときも身につけていた遺品の補聴器(遺族提供)

安優香さんが事故のときも身につけていた遺品の補聴器(遺族提供)

「裁判が始まる前に1分ほど法廷の様子をテレビカメラで撮影するのですが、この日、相手側の弁護士の姿はなく、撮影が終わってからに法廷に入ってきました。裁判はいつもと変わらず淡々と進み、次回期日のやりとりになったとき、突然、裁判長がこう言ったのです。『原告側にお願いがあります。裁判所としては、UDトーク等の機器を使用しているところを実際に確認したいと思います。書証で立証していただいていますが、実際に見てみなければイメージできない部分もあると思いますので……』私はその言葉を聞いたとき、『奇跡が起きた!』と、体が震えました。弁護団の先生方も、裁判官のこの姿勢には驚かれていました」

「UDトーク」とは、音声を文字に変換するアプリのことで、実際に聴覚障害者がこのアプリを会議などに使用すれば、健常者と遜色のないコミュニケーションがとれるというものです。
 障害者をサポートする機器やアプリは、日々、目覚ましく進化しています。

 事故から4年……、大切な我が子を失った悲しみの中、長引く裁判はそれだけで遺族にとって大変な負担となります。そのうえ、被告側から突き付けられる理不尽な準備書面に目を通すことは、どれほど辛い作業でしょうか。

 それでも、井出さんはこの裁判にかける決意をこう語ります。

「4回目の命日を目前に、娘のお墓に花を供えてきました。そして、手を合わせながら『安優香の受けた屈辱は必ず晴らすから、パパに力を貸してね……』そう話しました。賠償金がおりても、娘は帰ってきません。民事裁判は遺族にとって苦しいものです。でも、この裁判を通して、障害による不条理な賃金格差や差別が少しでもなくなるよう、私たちはもう少し頑張りたいと思います」

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