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なぜ警察と検察は『ながらスマホ』の捜査を怠ったのか… 横断歩道上で未来奪われた娘の無念

2024.3.12(火)

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なぜ警察と検察は『ながらスマホ』の捜査を怠ったのか… 横断歩道上で未来奪われた娘の無念

■『脳死状態です…』突然の連絡

「娘が車にはねられ、病院に搬送されたという第一報が入ったのは、2020年3月9日、午前2時半頃、彦根警察署からかかってきた一本の電話でした。次にかかってきたのは、彦根市立病院からでした。受話器を取った妻が突然泣き崩れたので、私が替わると、担当医師は『脳死状態です。まず助かりません』と……。あのときの絶望、そして、奈落の底に突き落とされたような感覚は、言葉にできません……」

 福島県の坂本勝さん(58)は、4年前のあの日を、苦渋の表情で振り返ります。

 長女の瞳さん(当時21)は、滋賀大学に通う3年生。前年のお盆に帰省したとき、来年は大学を休学して語学留学したいと両親に告げていました。
『留学先はカナダに決めた』というメールが母親の喜美江さん(62)に届いたのは、つい数時間前のこと。それだけに、いったい何が起こっているのか、にわかに信じられなかったといいます。

 いわき市の自宅から滋賀県の彦根市までは約700キロ。どんなに急いでも移動には7時間以上かかります。一睡もできぬまま夜明け前に家を出た坂本さん夫妻は、JR湯本駅から始発の常磐線特急と東海道新幹線に乗り、病院に着いたときにはすでに正午を過ぎていました。

 集中治療室でようやく面会できた瞳さんは、いくつもの管につながれ、意識不明のまま処置を受けていました。

 喜美江さんは振り返ります。

「そこには顔を大きく腫らした、別人のような瞳の姿がありました。私たちは必死で声をかけ続けました。『そんな顔では留学に行けないよ、頑張れ!』と」

事故現場。瞳さんはこの横断歩道を横断中、速度オーバーの乗用車にはねられた。見通しのよい直線道路だった(遺族提供)

事故現場。瞳さんはこの横断歩道を横断中、速度オーバーの乗用車にはねられた。見通しのよい直線道路だった(遺族提供)

■加害車は30キロオーバーで直進、そのときどこを見ていたのか…

 父親の勝さんが事故の状況について警察から説明を受けたのは、翌10日のことでした。その内容を聞いた喜美江さんは、さらに怒りと悔しさがこみ上げたと言います。
「瞳は彦根城近くの横断歩道を一人で渡っているとき、制限速度(時速40キロ)を30キロものスピード超過で走行してきた加害者の車(トヨタ・エスティマ)にはねられ、10メートルくらい飛ばされ、頭を強く打ったそうです。歩行者が守られるはずの横断歩道上で、なぜこんなことが……。いったい加害者はどこを見ていたのか。納得できませんでした」

 以下は、本件事故を報じた『読売新聞』の記事です。

【車にはねられ重体=滋賀】

8日午後11時20分頃、彦根市本町の県道で、横断歩道を渡っていた近くに住む大学3年坂本瞳さん(21)が乗用車にはねられ、頭などを強く打って意識不明の重体。彦根署は乗用車を運転していた近江八幡市堀上町、会社員荒井真容疑者(43)を自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致傷)の疑いで現行犯逮捕した。発表によると、現場は信号機のない片側1車線の直線道路。荒井容疑者は「気づいてブレーキを踏んだが、間に合わなかった」などと話しているという。(『読売新聞』/2020.3.10)

 この日、坂本さん夫妻は、瞳さんがひとり暮らしをしていたアパートの部屋に初めて入りました。

「机の上には勉強道具が置かれ、台所にはゆで卵が4つ、冷蔵庫には作り置きしたご飯、温野菜、手作りの豆腐ハンバーグ……。大学生としてのきちんとした生活ぶりが見えました。でも、瞳はこの部屋に二度と戻ることはできませんでした、事故から4日目の夜、一度も意識を回復することなく息を引き取ったのです。21歳と10か月、叶えたい夢がまだまだたくさんあったはずなのに、これまでの努力、希望、未来、すべてが奪われてしまったのです」(喜美江さん)

瞳さんが大切にしていたぬいぐるみと、愛用のスーツケース。今も自宅に再現された部屋にそのままの状態で置かれている(筆者撮影)

瞳さんが大切にしていたぬいぐるみと、愛用のスーツケース。今も自宅に再現された部屋にそのままの状態で置かれている(筆者撮影)

■遠くをぼんやりと見ながら、考え事をして片手運転

 事故から半年後の9月25日、加害者は「過失運転致死」の罪で起訴されました。起訴状には、横断歩道を横断中の瞳さんに気づかなかった理由や衝突直前の状況について、以下のように記されていました。

『被告人は(中略)速度を調整せず、考え事にふけって、前方左右を注視することなく、同横断歩道を横断する歩行者の有無及びその安全確認不十分のまま漫然時速約70キロメートルで進行した過失により(中略)横断歩行中の坂本瞳を前方約23.1メートルの地点に初めて認め、急制動及び右転把の措置を講じたが間に合わず、同人に自車左前部を衝突させて路上に転倒させ、よって同人に急性硬膜下血腫の傷害を負わせ、(中略)死亡させたものである』

 刑事記録を閲覧した坂本さん夫妻によれば、加害者は事故直後の警察の取り調べで、次のように供述していたと言います。

<加害者の供述調書より抜粋>

●私は交通量も少なく閑散としていたことに油断して、進路の遠くの方をぼんやりと見ながら考え事をしていました。
●決して居眠り運転はしておらず、左手は肘掛けに掛け、ハンドルは右手で片手で持ちながら運転をしていました。
●カーナビのテレビは走行中でも表示されます。事故当時テレビはついていましたが、私は考え事をしていただけで、カーナビゲーションのほうに脇見はしていません。
●スマホはコンソールボックスの上に置いており、触ったり、操作等は絶対にしていません。

■加害者が「ながらスマホはしていない」と言ったので…

 勝さんは語ります。

「考え事にふけって、前方左右を注視せず、安全確認を十分しないまま横断歩道に突っ込んだ……、このような事故でまず疑うべきは『ながら運転』ではないでしょうか。実際に、加害者が警察で取られた供述調書には片手運転の記述もあったので、私たちは大津地検彦根支部に『加害者はながらスマホではなかったのですか?』と質問しました。ところが検察官は『加害者本人が、スマホは操作していないと言ったので、操作履歴等の捜査確認はしていない』と答えたのです。私たちが依頼していた弁護士が、検察に対して『スマホの操作履歴の捜査をするべきだ』と申し入れてくださったのですが、『スマホの使用履歴は半年で消えるので、もう無理だ』という返事が返ってきたのです」

 喜美江さんも憤りを隠せない様子で語ります。

「実は、私は事故から2ヶ月後、警察で私と瞳のスマホの中身を見られました。事故当日の夜、娘と交わしたメールと通話記録が残っていると話したら、確認したいと言われたのです。被害者の携帯を調べておきながら、死亡事故を起こした加害者の携帯の履歴を調べもしないとは、いったいどういうことなのか。また、加害者は大手自動車ディーラーの店長でしたが、走行中でもテレビを見られるよう自社でカーナビの改造をしていました。事故時もテレビ画面が映し出されていたようですが、なぜ見もしないテレビを運転中につけていたのでしょうか? 本人が見ていない、やってないと言えば、裏付けも取らずに鵜呑みにしていいのでしょうか」

写真はイメージです(写真:アフロ)

写真はイメージです(写真:アフロ)

■「ながら運転」に捜査規定なし、証拠保全も規定なし?

 2021年3月、加害者に下された判決は、禁錮3年執行猶予5年。検察の求刑は、禁錮3年6月でした。

 納得できなかった坂本さん夫妻は、2023年の夏、警察庁、検察庁に宛てて「なぜ、スマホの履歴を確認しなかったのか?」など、初動捜査に関する質問状を送りました。しかし、検察からは形式的な電話での返答があったのみ。警察庁からは「捜査担当は滋賀県警である」という、たらいまわしのような回答が返ってくるだけでした。

「そこで、今度は彦根警察署に出向いて話をしたところ、『ながら運転には捜査規定なし、証拠保全も規定なし』という信じられないような答えが返ってきたのです。では、実際に交通事故が発生した際、『ながら運転』はどのように立件するのでしょうか。そもそも、『片手運転』が物語る行為とは何だったのか? たとえ本人がやってないと供述しても、あらゆる方向からその裏付けををとるのが捜査機関の鉄則ではないでしょうか。ありえない危険な行為で人の命が奪われているというのに、加害者の供述だけを鵜呑みするのは言語道断です」(喜美江さん)

事故から4年間、滋賀の事故現場へ出向き、花を手向ける母の喜美江さん(遺族提供)

事故から4年間、滋賀の事故現場へ出向き、花を手向ける母の喜美江さん(遺族提供)

■ながら運転の捜査徹底を求め、法務省に「要望書」提出

 2024年2月、法務省は「自動車運転による死傷事犯に係る罰則に関する検討会」をスタートさせました。この会で、「ながら運転」の取り扱いについての議論も予定されていると聞いた坂本さん夫妻は、2月下旬、法務大臣宛に下記の内容を記した「要望書」を送ったといいます。

 私どもは、交通死亡事故により大切な娘を亡くした遺族です。2019年12月、道路交通法の改正により、「ながら運転」が厳罰化されました。しかし、いくら厳罰化されても、捜査する側の警察、検察が「ながら運転」についての捜査をしていないケースが見受けられます。

 私たちは、交通事故捜査において、「ながら運転」の捜査の明確化と裏付け捜査の実施を要望します。そして、飲酒運転のアルコール呼気検査同様に交通事故発生時は、携帯スマホを押収し、操作履歴及び通信履歴の確認を実施することを強く要望します。

 国が改正道路交通法を施行し、「携帯電話使用等」に関する罰則を強化したのは2019年12月1日のこと。携帯電話での通話だけでなく、カーナビやテレビの操作、携帯でのゲーム、SNS、漫画を読むといった行為も対象です。これらを真剣に立証するためには、事故直後からのち密な捜査が不可欠ですが、施行から4年、具体的にどのような捜査が行われてきたのでしょうか。

 坂本さんの被害者代理人を務める中隆志弁護士は、捜査機関の対応についてこう指摘します。

「捜査機関は、加害者の供述のみで捜査をすることなく、客観的証拠があるのかどうか、客観的証拠があった場合、加害者の供述と矛盾しないかを常に精査していただきたいと考えている。被害者代理人として事件に関わる中で、加害者の供述と客観証拠が矛盾しており、私が指摘をして起訴状を修正することになったこともある。交通事故は多発しているが、犯罪であることには変わりがないので、より一層捜査には意を尽くしていただきたい」

■亡き娘のアパートの部屋を再現

 瞳さんを亡くした後、坂本さん夫妻は東日本大震災で大きな損傷を受けていた自宅を建て直しました。生前、瞳さんが「新しい家に住みたい」と言っていたからです。

 新居の2階には、瞳さんの部屋も作りました。そこは、彼女がひとり暮らしをしていた彦根のアパートとほぼ同じ間取りで、ベッドも、机も、そして教科書や洋服、食器棚やごみ箱にいたるまで、ほぼ当時のままのレイアウトで再現されています。

瞳さんの部屋で窓を眺める父親の勝さん(筆者撮影)

瞳さんの部屋で窓を眺める父親の勝さん(筆者撮影)

 出窓の上には勝さんが作ったという彦根城の小さな模型が置かれていました。

「瞳のアパートの部屋からも、ちょうどこんな風に彦根城が見えていたんです……」

 勝さんはそう言って、寂しそうな笑みを浮かべます。

 喜美江さんもこう言います。

「私にとっては、消しゴムのカスひとつでも瞳の大切な形見なんです。捨てることなんてできませんね……」

 警察庁によれば、運転中に携帯電話を使用した場合、死亡事故につながるリスクは約3.8倍に上るとのことです。

 過去に私が取材した事故でも、「ながら運転」が立件され、刑事罰を問われたケースがいくつかありましたが、いずれもドライブレコーダーなどにその様子が記録されていたことで裏付けられました(以下の記事参照)。

<「スマホ漫画」で追突死亡事故の男に懲役3年 遺族が法廷で訴えたこと(2019/8/22>

<迷い犬保護中の女性「ながらスマホ」の大型トラックにひき逃げされ死亡 被告に下された判決は(2022/12/19)>

<【速報】異例の控訴取り下げで判決確定 女子大生死亡の「ながらスマホ事故」 遺族のやりきれぬ思い(2023/5/8)>

 喜美江さんは、語ります。

「通話やメール、ゲームのほか、車の中でテレビやビデオも視聴できるようになった今、便利になればそれだけリスクが増えたということでもあります。前を見ずに起こった事故の真の原因は何だったのか? なぜ被害者の命は奪われたのか? 事故発生直後にきちんと捜査のメスを入れない限り、ながら運転の厳罰化は絵に描いた餅だと思います。この記事が発信された本日(3月12日)は、瞳の命日にあたります。私たちは大切な娘の死を無駄にしないためにも、引き続きこの問題についてしっかり訴え続けていきたいと思っています」

東日本大震災で被災した自宅を再建した坂本さん夫妻は、新居に瞳さんの部屋を作り、生前のアパートをそのまま再現している(筆者撮影)

東日本大震災で被災した自宅を再建した坂本さん夫妻は、新居に瞳さんの部屋を作り、生前のアパートをそのまま再現している(筆者撮影)