私が描いた、父の最後の姿【横浜・右折死亡事故】青の横断歩道、車はなぜ止まってくれなかったのか…
2025.8.1(金)
ここに、一枚の水彩画があります。
傘をさし、青いジャンパーを着て、横断歩道を歩くひとりの男性。目の前には、歩行者用の信号が青く光っています。
長女の枝里さんが、加害者のドライブレコーダーに記録されていた父の最後の姿を記憶し、描いた水彩画(遺族提供)
この絵を描いた江口枝里さん(30)は語ります。
「これは、大好きだった父の、最後の姿です。この絵を描きながら、心の中で『どうして車は、ここで止まってくれなかったの!』と何度叫んだことでしょう。この場面の直後、父は背後から迫ってきた右折車にはねられました。あと一歩、あと数秒違えば、父は、バスから降りてくる母を迎えることができたのに……」
■ドライブレコーダーに記録されていた衝突の瞬間
事故は、2023年11月10日午後6時過ぎ、横浜市青葉区美しが丘の交差点で発生しました。被害者は、近くに住む江口文明さん(59)。右折した乗用車(ランドクルーザープラド)を運転していたのは、同じ町内に住む家庭をもつ女性(当時52)でした。
青信号で横断歩道を渡っていたにもかかわらず、突然、右折車に衝突され、路面にたたきつけられた文明さんは、頭蓋骨骨折、脳挫傷、腓骨脛骨骨折のほか、全身打撲の重傷を負い、翌日、搬送先の病院で死亡しました。
この絵は、刑事裁判の法廷で流された加害車のドライブレコーダー映像の記憶をもとに、美大で絵画を専攻した長女の枝里さんが、自らの筆で再現したものだったのです。
枝里さんは、自身が描いた絵をじっと見つめながら語ります。
「おかしいですよね。交通ルールを守っている人が突然命を奪われなければならないなんて。大好きな母にいつも通り会うことも叶わず、この世を去らなければならなかった父のことを思うたび、いつも胸が張り裂けそうになります」
文明さんが渡っていた、自宅近くの横断歩道(遺族提供)
「私たち家族は、加害車のドライブレコーダー映像を開示してほしいと横浜地裁に申請したのですが、ところが、なぜか寺澤真由美裁判官に拒否され、いま、手元にはその映像がありません。刑事裁判への被害者参加で心身ともに疲労困憊の中、裁判官までもが私たちを追い込むのかと、深く絶望した経験は忘れません。記憶では走行中にもかかわらず、被告人のフロンガラス上部に備え付けテレビの映像が反射して映り込んでいました
運転席からは、ヘッドライトで白く浮かび上がるビニール傘を手に、横断歩道を歩く父の姿がはっきり見えていました。そして、なんと対向車の先頭車両は眩しくないようライトを切っていてくれていました。それなのになぜ、加害車は減速すらせず、そのまま進み続けたのか、事故の瞬間、加害者はいったいどこを見ていたのか……。前さえ見ていれば、目の前にいる父に気付かないなんてありえません。正直、一番見たくない場面でした。でも、この危険な状況を多くの方に知っていただくために、私にできることといったらこれしかない、そんな思いで頭に焼き付けた光景を仕上げました」
この事故で亡くなった父親の江口文明さん。家族思いの優しい人だったという(遺族提供)
■初公判で被害者死亡と事故の因果関係を争うと主張した被告
本件については、加害者の初公判が開かれた後、以下の記事でレポートしました。
”夫の死”は交通事故と因果関係なし? 初公判で一転、加害者の信じがたい主張に打ちのめされて…(柳原三佳) - エキスパート - Yahoo!ニュース
当初、加害者は『被害者の死亡と、事故の因果関係を争う』つまり、事故は起こしたけれど、文明さんを死に至らしめたことについては無罪だと主張していました。しかし、第2回公判でその主張を撤回。2025年7月1日、横浜地裁において禁錮3年執行猶予4年の判決が下されました。
判決文には以下のように記されていました。一部抜粋します。
被告人は信号機により交通整理の行われている交差点を右折進行するにあたり、前方左右を注視し、道横断歩道による横断歩行者の有無及びその安全を確認しながら右折進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り、その安全を充分確認しないまま、時速約15キロメートルで右折進行をした過失により、横断歩行中の江口文明(当時59歳)の直前に迫って同人を発見するも、同人に自車左前部を衝突させて同人を路上に転倒させ、よって同人に脳挫傷等の傷害を負わせ、同月11日午後9時15分ごろ昭和大学藤が丘病院において、同人を死亡させた。
(横浜地裁/寺澤真由美裁判官)
「判決文には、『被害者の発見が遅れ、自車を同人に衝突させるなどしたものであり、過失の内容及び程度を看過することができない』と書かれていました。でも、私には、発見が遅れたのではなく、青信号の横断歩道を渡っていた父に衝突するまで、まったく気づいていないように見えました。事実、ぶつかった瞬間、加害者は驚きの声を上げ、それから速度を落としたのです」
また、裁判官は判決文の中で『被告人の罪は刑事的には重い』としながらも、『事実を認めて反省の弁を述べていること、前科がないこと、対人賠償無制限の任意保険により適切な賠償がされる見込みがあること』などを理由に、執行猶予が相当と判断しました。
この内容に、枝里さんはやるせなさを感じたと言います。
「加害者の償いってなんなのか……、刑事裁判が終わり、その思いがどんどん大きくなってきています。そもそも、反省しているならなぜ、父の死と事故の因果関係がないなどと主張できたのでしょう。加害者は事故から1年8か月、事故現場に一度も花を供えたことがありません。裁判では、命日にも何もしなかったと述べていました。
また、父を死亡させた事故車両がその後どうなったのかも分からないと言い、自分がひいたにもかかわらず、私たち家族に面と向かって『ご冥福をお祈りいたします』と……。私は被告人の山尾知恵氏は、人の人生をその手で終わらせたことの重みが分かっていないように感じました。
判決言い渡しのとき、加害者の横顔をじっと見ていた母は、しっかりと顔を上げて判決を聞いていた彼女が『やっと終わる』という表情をしたように見えたと言っていました。大切な家族を失った私たちには、終わりはないのに……」
枝里さんの誕生を心から喜んでいたという若き日の文明さん(遺族提供)
■右左折の巻き込みは『単純な事故』なのか? 遺族らの怒り
本件の公判には、江口さんと同じく青信号の横断歩道上で起こった巻き込み事故の遺族も傍聴に訪れていました。そのひとり、「命と安全を守る歩車分離信号普及全国連絡会」の長谷智喜代表は、被告側弁護士の陳述に強い怒りを感じたといいます。
「その弁護士は、交差点での右左折巻き込み事故について、『前方左右の注意確認義務違反という単純な過失によるもので、車を運転する人間であれば誰でも犯し得る。ロボットではない人間である以上、こうしたミスは誰にでもあり、重い刑罰を課すべきではない』と述べました。あれは酷いと思いましたね。あのような感覚は、許せません。歩行者は青信号を守って、信頼の原則で渡るしかないわけです。そこで命を奪われて、単純な事故だと開き直るのはおかしすぎます」
長谷さんは1992年11月11日、青信号で横断歩道を渡っていた長男の元喜くん(当時11・小5)を、左折してきたダンプに轢かれて失いました。同様の事故を防ぐため、歩行者が青のとき、全方向の車を赤で止める「歩車分離信号」の普及を目指して、長年、活動を続けています。
「結局、30年前と何も変わっていませんね。なんの過失もない歩行者が、青信号の横断歩道で殺される、そういう事故において、多くの被害者は『単純な事故』として泣き寝入りを強いられてきました。ドライバーの自覚を高め、同じような事故の被害者をなくすためにも、横断歩道上での事故はもっと罪を厳しくしないとだめだと思います。被害者としては、当たり前の刑罰を科してほしいと思うのは当然です」
もうひとり、本件公判を傍聴していた佐藤清志さんも、強い口調で語ります。
「私も長谷様のご意見に同感です。『単純な事故』という、あの被告側弁護士の言葉が今も耳に焼き付いています」
佐藤さんは、2003年5月24日、長女の菜緒ちゃん(当時6)を亡くしました。奈緒ちゃんは自転車に乗り、母親と共に青信号で横断歩道を渡っていたとき、左後方から停止せずに左折してきたダンプにひかれたのです。
「江口さん死亡事故の刑事裁判で、被告側弁護士は、過去の判例の平均値を持ち出し、右左折巻き込み事故は“単純”で、誰でも起こしうる事故だとして、過失裁判の平均値の1年から1年6月の猶予、もしくは6ヶ月以下の全部猶予が妥当だと主張しました。これは、被害者遺族の想いを全く無視したもので、非常に腹立たしかったです」
多発する右左折車による重大事故。ドライバーが横断歩道の手前で十分に速度を落とし、歩行者の有無を確認するという基本的なルールを守れば、命は守れるはずです。
決して「単純な事故」などという言葉で容認すべきではないはずです。
佐藤さんの長女・菜緒ちゃんが青信号の横断歩道を横断中、左折事故で亡くなった都内の事故現場。22年経った今も花が絶えない(筆者撮影)
■絵画を通して紡いできた、父との絆、思い出…
枝里さんは今回、横断歩道を渡る父の最後の姿を完成させるにあたり、絵を通して紡いできた文明さんとの多くの思い出が心の支えになったといいます。
「私は子どもの頃から絵を描くのが大好きで、父とは“絵仲間”みたいな感じでした。普段はそんなにほめる人ではないんですが、私が小さいときに何気なく父を描いた絵をとてもほめてくれて、ちゃんと額に入れて今も飾ってあります。美大に挑戦しているときも応援してくれました」
枝里さんが8歳のときに描いた父・文明さん。頬杖をついて蝶を眺めているこの絵をとても気に入り、文明さんはずっと額に入れて飾っていたという(遺族提供)
「作品の梱包なども、いつも父が手伝ってくれました。私が絵を描いているときは、よく部屋のドアを開けて覗いたり、横に立って見てアドバイスをくれたりして、絵を描くときはいつも父と一緒だった気がします。ですが、今は一人です。もう一生、絵を描く私の隣に父は来てくれません。父の声が聞きたい。また一緒に絵が描きたい、被告人は執行猶予付きの判決で刑務所にも入らず、家族と一緒に暮らせるのに、どうして何も悪いことをしていない父には明日がこないんだろう……」
枝里さんが亡き父・文明さんにアドバイスをもらいながら描いた最後の作品『目の中の空』は未完のまま。今はまだ加筆する気持ちになれないという(遺族提供)
実は、事故の数ヶ月前、文明さんは枝里さんに、『絵はずっと描き続けてほしい』そう声をかけたそうです。
「そのときは、なんで急にそんなこと言うんだろう? と思いました。でも、まだどこかで、父がまた帰ってくるんじゃないかって期待している自分がいます。帰ってきたら、今度は絶対笑顔で『おかえり』って言おうと思っています。父がいなくなって、心にぽっかり穴が開いて、今はまだ悲しみが大きいのですが、父との思いを支えに、これからも絵を描き続けていきたいと思っています。絵を描いているときが一番父を近くに感じられるんです。そして、父のような被害者がこれ以上増えないよう、まずは通学路でもある父の事故現場から、歩車分離信号設置の申請など、できることから動いていきたいと思っています」
文明さんが事故で亡くなった後も、誕生日ケーキでお祝いを続けているという(遺族提供)