【妊婦死亡】赤ちゃんは意識不明のまま生後5か月に 24時間介護と裁判に向き合う家族のいま
2025.10.23(木)

2025年5月21日、出産を間近に控えた研谷(とぎたに)沙也香さん(31)が、逆走の乗用車に後ろからはねられ、翌々日に死亡した。お腹の中の赤ちゃんは事故当日、緊急の帝王切開で生まれたが、脳に重い障害を負い、今も意識不明のまま入院中だ。あの事故から5か月、家族はどのような日々を過ごしてきたのか、そして、刑事裁判の行方は……。ノンフィクション作家の柳原三佳が、赤ちゃんの父親・研谷友太(ゆうだい)さんに今の思いを聞いた。
■事故で重度障害を負った娘は「被害者」ではないのか
――事故発生から5か月が経過しました。あの日、緊急の帝王切開で生まれた日七未(ひなみ)ちゃんは10月21日で生後5か月になられたのですね。
研谷 はい。母体が事故に遭い、その影響で脳に十分な血液・酸素が供給されていなかったために低酸素性虚血性脳症となり、娘の日七未は仮死状態で生まれました。なんとか命はとりとめましたが、今も意識不明のまま、懸命に生き続けてくれています。NICU(新生児集中治療室)での治療を経て、10月17日から一般病棟へ移動し、私も病院に泊まり込みで、24時間娘に付き添っています。体重は4787グラムと、生れたときの倍以上になり、ほっぺたにも、触り甲斐のある愛おしい重みが感じられるようになっています。顔つきもはっきりしてきて、その寝顔にいつも癒されております。

出産を楽しみにしていた研谷沙也香さん。この4日後(5月21日)に事故に巻き込まれ、帝王切開で日七未ちゃんを出産。2日後の5月23日、意識を回復せぬまま息を引き取った(家族提供)
――9月2日には名古屋地裁一宮支部で初公判が開かれ、私も傍聴させていただきました。その後、友太さんはどのような思いで過ごされてきましたか。
研谷 初公判の前はさまざまな手続きの関係で、事故現場である愛知、勤務先の広島、そして私の実家がある関東を行き来しながら、娘・日七未との面会を続けてきました。よくも悪くも、悲しみに暮れる時間すらないほど忙しく、常に気が張っていました。亡き妻と娘のために頑張って闘わなければならないという強い覚悟が、私を支えていたのだと思います。
――現在、被告は亡くなった沙也香さんに対する「過失運転致死」のみで起訴されており、事故当時「胎児」だった日七未ちゃんは、本件事故の被害者として認められていません。初公判の直前、友太さんは、『~妊婦の死亡事故 緊急帝王切開で産まれ、重度の障害を負いながらも懸命に生きる娘は被害者ではないのか?「胎児への加害行為に対して過失運転致傷での起訴を求めます」』というタイトルで、インターネット署名を展開され、初公判の当日には、検察に対して11万2284筆もの署名を証拠として提出されました。日七未ちゃんも被害者として認めてほしいというご家族や賛同者の思いは届きそうですか。
研谷 初公判では検察側が、「補充捜査を行いたい」と述べました。この「補充捜査」とは、まさに私たちが求めてきた、日七未に対する過失運転致傷罪での立件が可能かどうかを精査するための捜査であると理解しています。その後、検察は、医療機関からカルテなどを取り寄せたり、関係機関への照会を行ったりしているようで、10月9日には、裁判官と書記官、検察官2名、被告側の弁護人2名、被害者側の代理人による進行協議も行われました。次回の協議は11月27日とのことで、公判期日はまだ確定していませんが、とりあえず、前に進んでいることは実感しており、張り詰めていた気持ちが少し緩んでいるのを感じています。

公判の直後、一宮市内の弁護士会館で、義父(右・沙也香さんの実父)とともに記者会見を行う研谷友太さん(筆者撮影)
――初公判の直前から取材が殺到し、新聞、テレビを始め、多くのメディアが取り上げていましたね。
研谷 柳原さんの記事(我が子を抱くこともできず、妻は逝った… 出産目前の交通事故 帝王切開で生まれた子は今も意識不明- エキスパート - Yahoo!ニュース)が出る前は、ほとんど報道されていなかったのですが、おかげさまで多くの方に本件を知っていただき、広く報道されたことで、署名にも多くの方が賛同してくださいました。
――わずか1週間で10万筆を超えたのですから、本当にすごいことですね。過失による事故で胎児が死傷しても、「胎児は母体の一部である」という学説により、「原則として罪に問われない」とされてきた過去の司法判断。これについて、納得できないという人がいかに多いかということだと思います。
研谷 私もそう思います。ご協力くださった皆さまには本当に感謝しています。ちなみに、熊本の水俣病事件では、最高裁が「胎児に加えられた侵害が出生後に人に死傷の結果をもたらした場合、業務上過失致死罪が成立する」と判示しています(昭和63年2月29日決定)。この判例は、胎児期の加害行為にも刑事責任が問える可能性を示しています。また、この判決以降、各地裁でも胎児への加害行為について有罪とした判決が見られるようになりました。
――妊娠中、胎児だった日七未ちゃんは順調に育っていたのですよね。
研谷 はい。日七未はこれまでの定期健診で異常を指摘されたことは一度もありませんでした。それなのに、生まれたときから、感情を表す手段も、自ら命を維持する力も持てず、母親に一度も抱かれることもなく、未来全てを奪われてしまいました。明らかに事故が原因で脳障害を受けて生まれてきた日七未が、事故とは関係ないという扱いを受けるのは、どう考えてもおかしいと思います。

気管切開を受ける前の、生後間もない日七未ちゃん(家族提供)
■供述内容を変遷させる被告への不信感と怒り
――初公判では、初めて被告の顔をご覧になったのですね。
研谷 そうです。法廷に現れた児野尚子被告(50)は、被害者参加していた私たちに向かって涙声で謝罪の言葉を述べましたが、マスクも外さず、入廷から退廷まで、結果的に一度も私と目を合わせませんでした。涙声でしたが、私が見る限り、その目に涙は確認できませんでした。
――被告は法廷で、亡くなった沙也香さん、そして重い障害を負われた日七未ちゃんについて、「事故の責任はすべて自分にある」と述べていましたが、なぜ事故を起こしたのかについて、真実は明らかになっているのでしょうか。
研谷 捜査記録に記載されている供述について詳しく語ることはできないのですが、一番大事な事故の状況について、拘留中の取り調べでは一貫して「前を向いて運転していた」「居眠りもしていない」とか「覚えていない」と供述していたにもかかわらず、釈放された後は、「居眠りしていたかもしれない」などと内容を変えてきました。「居眠りしていたかもしれない」というのは、私が児野被告に対し、「覚えていないことに何の反省が出来るのか」と、問うたことに対する回答でした。私たちから見ると、事故に対して誠実に向き合っているとは到底言えない内容でした。都合が悪くなると平気で供述を変えるような姿勢に、被告は自身の立場を守ることしか考えておらず、被害者の命と家族への責任を真剣に受け止めていないのではないかと感じています。
――今後の裁判で、被告が事故について「覚えてない」というのか、具体的に居眠り運転だったことなどを認めるのか、そのあたりが気になりますね。
研谷 そうですね。まだわからないのですが、どちらにしても、供述が変わってしまうので、おかしなことになります。

散歩中だった妻がはねられた事故現場を見つめる友太さん。被告車のドライブレコーダーには、事故の9秒前から右側にそれていく様子と、道路右脇を歩いていた沙也香さんを後ろからはねる瞬間が映っていた(筆者撮影)
■初公判が始まってからの被告の動き
――被告からは最近になって謝罪の意思表示があったそうですが。
研谷 被告の代理人からは、初公判後、事故現場で献花し、妻に謝罪をしたとの連絡がありました。初公判が始まり、事故から4か月近く経っての謝罪と献花という報告には、正直なところ非常に不快な気持ちを抱いています。なぜなら、これまでにそうした機会は何度もあったはずだからです。また、被告の代理人弁護士からFAXが届きましたが、「保険金以外に金員の用意がある」と記されていたことに強い怒りと悲しみを感じました。命を奪った罪に対して、金銭で反省の意を示すことは到底受け入れられません。
――事故現場は被告の自宅のすぐ前ですが、初公判までの4か月間に、献花などはなかったのでしょうか。
研谷 私たち家族は毎日、一日に何度も事故の現場を通りますが、被告が事故現場で手を合わせる姿は一度も見ていません。義父は、被告が釈放された2日後に、被告が自宅に迎えに来た車に荷物を持って乗り込む姿を目撃しています。また、事故当初、自身だけでも謝罪をしたいと連絡をしてきた被告のご主人も、車で帰宅中、事故現場に妻の母がいることに気づくと、自宅を通り越して逃げるように立ち去る様子を何度も目にしております。私たちは、事故直後からの行動や供述への向き合い方こそが誠意の本質だと考えています。

沙也香さんの実家には、今も出産のために準備されたグッズやベビーベッドなどがそのまま置かれている(筆者撮影)
■病院に泊まり込み、24時間介護の実習
――日七未ちゃんはこの5か月間、日々成長されていますが、そこには1日も欠かせない24時間の介護とケアが必要だったと思います。今後はどのような体制で日七未ちゃんの子育てにのぞまれる予定でしょうか。
研谷 私自身、現在は育児休暇を取得中で、母も事故後は仕事を休んでくれています。11月中には、関東にある私の実家の近くの病院へ転院する予定で、現在は自宅介護に向けて、私も病院に泊まり込みで、24時間娘の介護の実習を行っております。
――実習とは、どのようなことを?
研谷 日七未は気管切開をして人工呼吸器をつけていますので、数時間おきに痰の吸引が必要となります。また、1日1回の気管カニューレという管のバンド交換や、褥瘡(じょくそう)ができないよう体位を変えてあげたり、拘縮を防ぐためのストレッチをしたり、食事やお薬の管理などをしております。脳が機能していない影響で、強直発作による酸素飽和度(SpO2)の低下がたびたび起こるため、その際に人工呼吸器で送り込む酸素の濃度調整等、覚えなければならないことがいろいろあります。

一般病棟に移った日七未ちゃんの栄養や投薬のスケジュール表。ミルクは3時間おき。父親の友太さんは10月17日から泊まり込みで介護等の実習を受けている(家族提供)
――沐浴はどうされているのですか?
研谷 お湯をはって、その中に身体を入れて洗うのですが、気管切開をしているのでお湯が気管に入らないようにとても気を遣います。これは私一人では到底できませんね。
――介護の実習が終わったら、現在入院されている愛知県の病院から関東へ移動されるのですね。
研谷 はい。医療用の救急車で愛知県の病院から関東の病院へ転院し、一定期間の入院を経て、様子を見ながら私の実家で在宅介護に移行する予定です。ただし、私の育児休暇が終了するまでに、娘が医療型障害児入所施設に長期入所できるかどうかが、最大の不安となっています。あの事故さえなければ、娘は今ごろ母親の愛情を受けて順調に育っていたはずだと思うと、本当に悔しく、日に日にこのような事態になってしまったことへの怒りが増しています。
――被害者にとって、事故はその一瞬だけではありません。重い障害を負った場合は、被害者本人だけでなく、家族も極度の緊張の中で自身の時間を介護に費やしながらの生活が続きます。こうした過酷な現実を、被告側、裁判所にはしっかり認識してもらいたいですね。
研谷 おっしゃるとおりです。今は娘の介護でまた忙しい日々ですが、初公判後は取材対応も落ち着き、時間が取れるようになっていました。その一方で、妻がいないという漠然とした喪失感や孤独感に向き合う時間が増え、自分の死を願うこともあり、心の中では深い葛藤が続いています。でも、娘を残して自分がいなくなるわけにはいかないと、家族や友人、同僚に支えられながら何とか踏みとどまっている毎日です。おそらく、全ての決着がつくまで、このような不安定な状態が続いていくのだと思います。

事故の数時間前、沙也香さんから単身赴任先の友太さんに送信されていた最後のLINE。事故後に気づいた友太さんがメッセージを返信したが、既読になることはなかった(友太さん提供)
――友太さんが日七未ちゃんに終日付き添われるようになって、間もなく1週間ですね。
研谷 はい。病室ではありますが、24時間娘と一緒に過ごすようになり、嬉しさや愛しさを感じる一方、娘をこんな状態にした児野被告へのやり場のない怒りに震えています。とにかく奇跡が起きて、娘が目を覚まし、いつかコミュニケーションが取れるようになることを願う日々です。
――署名は現在12万筆を超えていますが、今後も続けられるご予定ですか。
研谷 署名活動は現在も継続中です。すでに署名してくださった方にも、ぜひご家族やご友人、SNSなどを通じてこの署名の存在を広めていただければと思っています。加害者が奪ったものは決して妻一人の命だけではありません。夫として、父として、二人の「人」としての尊厳が正当に扱われることを願い、胎児への加害行為に対する過失運転致傷罪での起訴を求めます。私一人ではあまりにも無力です。一人ひとりの声が、命の尊厳を社会に問いかける力になります。ご協力のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
<オンライン署名>
『~妊婦の死亡事故 緊急帝王切開で産まれ、重度の障害を負いながらも懸命に生きる娘は被害者ではないのか?「胎児への加害行為に対して過失運転致傷での起訴を求めます」』

突然の事故に遭い、我が子を一度も抱くことができずに亡くなった沙也香さん(家族提供)
 
			 
					
