娘の胎内で事故に遭った孫は「人」ではないのか、生後8カ月の今も意識不明、なのに検察は過失傷害罪での起訴見送り
2026.2.8(日)

目次
1.出産目前で交通事故に巻き込まれた愛娘、帝王切開で取り上げられた孫娘
2.妊娠22週を過ぎてからの中絶は罪、それなら22週を過ぎた胎児は「人」ではないのか
3.「意識が戻ることはない」との医師の言葉で号泣
4.医療スタッフが総力を挙げて救ってくれた日七未ちゃんの生命
5.日七未ちゃんの被害に対する責任の追及、絶対にあきらめない
2025年5月、愛知県一宮市で出産間近の妊婦・研谷(とぎたに)沙也香さん(31)が軽乗用車にはねられ、2日後に死亡するという事故が起こった。緊急の帝王切開によって取り出された赤ちゃんは脳障害を負い、現在も意識不明のままだ。刑法では、『胎児は母体の一部』とみなされ、交通事故で胎児を死傷させても原則として罪には問われない。家族は署名活動を展開し、『胎児も本件の被害者として加害者を起訴すべきだ』と訴えていたのだが……。この事故で娘を失った母親が、現在の思いをノンフィクション作家の柳原三佳氏に語った。
出産目前で交通事故に巻き込まれた愛娘、帝王切開で取り上げられた孫娘
妊娠9カ月の妊婦を車ではねて死亡させたとして、自動車運転処罰法違反(過失致死)の罪に問われた児野尚子被告(50)の第2回公判が、1月26日、名古屋地裁一宮支部で開かれました。
この日、注目されたのは、事故後に生まれた日七未(ひなみ)ちゃんが「人」として認められるか? つまり、日七未ちゃんに対する「過失傷害罪」を検察が適用するか否か、という点でした。

事故現場。沙也香さんは道路右端を散歩中、後ろから逆走してきた軽自動車にはねられた(筆者撮影)
しかし、結果的に検察は、日七未ちゃんが事故の瞬間には『胎児』だったことから、「『人』として罪の対象とするのは難しい」と判断。その一方で、初公判のときには一切出てこなかった日七未ちゃんの名前と被害の事実を起訴状に追加するかたちでの訴因変更を請求し、裁判所はこれを許可しました。
この日、傍聴席では、本件事故で亡くなった妊婦・研谷沙也香さんの母、水川美香さん(62)がそのやりとりをじっと見守っていました。「胎児は人ではない」という刑法の壁を、母として、そして日七未ちゃんの祖母の立場としてどのように受け止められたのでしょうか。
昨年8月におこなった沙也香さんの父親へのインタビュー(下記)に続き、お話を伺いました。
(参考)車にはねられた妊娠中の娘、死の間際に帝王切開で産んだ孫には重い障害、なのに「加害者は胎児への責任なし」だと?(2025.8.23)
妊娠22週を過ぎてからの中絶は罪、それなら22週を過ぎた胎児は「人」ではないのか
――昨年から沙也香さんのご主人が中心となって署名活動を展開され、日七未ちゃんも被害者と認めたうえで、加害者を過失傷害罪で起訴すべきだと訴えてこられました。しかし、第2回公判では残念ながらその思いは届きませんでした。
水川美香(以下、水川) はい、法律の壁というものを思い知らされました。「お腹に赤ちゃんがいますよ」と言われ、母子手帳をもらうということは、そのときから『母親として子育てをします』という意思表示だと私は思うんです。
例えば中絶の場合、妊娠22週を過ぎれば罪になるわけですが、そうであれば、最低でも22週を過ぎた胎児は人として認められるべきではないでしょうか。今の法律はまったくそれに追いついていません。
事故の瞬間に「胎児」だったという理由だけで「人」と認められず、交通事故によってこれほど過酷な被害に遭っているというのに、加害者が起訴されないというのはどうしても納得できません。
――初めての出産を控え、沙也香さんはご実家である水川さんのご自宅で準備をしながら過ごしておられたのですね。
水川 そうです。健康に気を使いながら、赤ちゃんが生まれる日を本当に楽しみにしていました。

事故の4日前の沙也香さん。赤ちゃんの誕生を心待ちにしていた(家族提供)
沙也香と最後に会話を交わしたのは、前日の夜でした。11時頃、お風呂から上がって、沙也香はリビングのソファに座りながら髪の毛をとかしていました。「早く寝なよ」と声をかけると、「髪の毛を乾かしたら寝るね」と……。翌朝、私は仕事で早く家を出たので、結局、それが最後になってしまいました。

警察から返された沙也香さんのスニーカーには事故の衝撃で穴が開いていた。誕生日に夫の友太さんからプレゼントされたものだった(家族提供)
「意識が戻ることはない」との医師の言葉で号泣
――事故の連絡を受けられたのは、翌日の午後だったのですね。
水川 はい。主人はすぐに会社を飛び出し、私も車を運転して一宮西病院へ向かいました。途中で電話を入れ、「娘はどういう状況でしょうか」とたずねたところ、看護師さんから、「命が危険な状態です」と言われ、両手の震えが止まらなくなりました。でも、『ここで私が事故を起こしちゃいけない、なんとか冷静に病院まで安全運転で行かなければ』と自分に言い聞かせながら走ったことを今でも覚えています。
――沙也香さんにはすぐに会えたのでしょうか。
水川 病院に着いた当初は、何の情報もないまま待つしかありませんでした。しばらくして産婦人科の担当医が来られて、「出血が止まらないので子宮を摘出します」と私たちに告げ、そのまま手術室に向かわれたことは記憶しています。
その後、脳外科の先生から脳のレントゲンを見せられました。そして、「搬送されてきたときはすでに瞳孔が開いていました。この先、意識が戻ることはないです」とはっきり言われ、再び待合室に帰されました。

事故に遭ったとき、沙也香さんが身に着けていたマタニティバッグ。血がついているのがわかる(家族提供)
――あまりに突然のことで、即座に受け入れられなかったのでは……。
水川 はい、頭の中では「意識が戻ることはない」という言葉がリピートするばかりでした。さらに医師からは、「ここ2日が山場です」と言われました。しかし、“山場”といっても、乗り越えられるという意味ではないと言われ、私はそのとき、自分の中で張り詰めていたものが壊れ、廊下で大声を上げて泣きました。
――赴任先の広島から沙也香さんの夫・友太(ゆうだい)さんが到着されたのは夜でしたね。
水川 ようやく家族が全員そろったところで、改めて医師から説明を受けたのですが、子宮を摘出したと聞かされたときに友太君が、「子宮を摘出っていうことは、今後、妊娠ができないっていうことですよね」と質問しているのを聞いたときには、本当に可哀想で……。そのとき彼はまだ、沙也香が助かると思っていたのでしょうね。
結局、集中治療室だと付き添いができないので、病院側の配慮で一般病棟に移され、家族が常にそばにいられる状態にしていただきました。そして2日後、沙也香は息を引き取ったのです。
医療スタッフが総力を挙げて救ってくれた日七未ちゃんの生命
――美香さんから、生まれたばかりの日七未ちゃんのお写真を送っていただきましたが、そのときの状況をお聞かせいただけますか。
水川 緊急の帝王切開で取り出された日七未は、すぐにNICU(新生児集中治療室)が設備されている病院に移送されることになりました。私はそれまで、日七未のほうはなんとか安定した状態にあるんじゃないかと、心のどこかで思っていたのですが、そうではありませんでした。
生死をさまよう沙也香の側を離れたくはなかったのですが、私が急遽、日七未に付き添うことになり、看護部長さんに案内されながら救急車の前で待っていると、保育器に入れられた日七未がエレベーターから降りてきたのです。
――それが日七未ちゃんとの初めての対面だったのですね。
水川 はい。救急車にはすでに移送先の病院から駆けつけてくださった担当の先生が乗っておられて、日七未に付き添いながら搬送してくださることになっていました。
――病院同士で連携されたのですね。
水川 そうです。それで私が救急車に乗り込もうとしたら、その医師が私の目をしっかりと見て、「お母さん、大丈夫ですよ。僕に任せてください。できる限り手は尽くします、頑張りますので!」とおっしゃったのです。そのとき、一緒に救急車に乗り込まれた看護部長さんが、「お母さん、携帯持ってますか?」と聞かれたので、「はい」って答えたら、「貸してください」と言って、生まれたばかりの日七未の写真を急いで撮ってくださいました。

生まれた直後、NICUのある病院へ移送される直前の日七未ちゃん(家族提供)
私たちにはおっしゃらなかったのですが、日七未がかなり危険な状態だということを察しておられたみたいで、命のあるときにとにかく撮っておいてあげようと思われたのだと思います。
――これがそのときのお写真ですね。少し前までは胎児だったかもしれませんが、一歩外へ出れば立派な赤ちゃん、ひとりの人間です。そして、たくさんの医療者が、日七未ちゃんの命を救おうと、懸命に取り組んでくださっていたのですね。
水川 もう、「なんとしてもこの子の命、助けます」っていう強い気持ちが伝わってきました。
――結局、美香さんは日七未ちゃんの救急車には乗られなかったのですね。
水川 はい、沙也香の命があとどれくらいもつかわからないときでしたので、配慮してくださったのかもしれません。

大学時代はラクロスの選手として活躍した沙也香さん。全国2位に輝いた(家族提供)
日七未ちゃんの被害に対する責任の追及、絶対にあきらめない
――日七未ちゃんは現在、生後8カ月。お父さんである友太さんのご実家におられるそうですね。
水川 昨年11月、愛知県の病院から関東地方の病院に転院し、その後、友太君のご実家で24時間の在宅介護を受けています。日七未が愛知の病院を発つ前の日、私は仕事を終えてそのまま急いで病院に駆け付けたのですが、そのとき、先生や看護師さんのご厚意で、初めて抱っこさせてもらうことができたんです。
当時は生後5カ月、生まれたばかりの頃から比べれば、とても大きく、重たくなって、ほっぺもふっくらして、成長を感じました。日七未は、沙也香が赤ちゃんの頃にそっくりで、ただ眠っているようにしか見えないその穏やかな表情を見ながら、『沙也香はこの子を抱くことも、見ることもないのだ……』と思うと、余計に悲しくて、つらかったですね。
――沙也香さんのいない初めての年末年始を過ごされて、何を思われていましたか。
水川 お正月にはきっと日七未を連れて友太君のご実家に行き、楽しく過ごしていたんだろうなと考えていました。刑事裁判では加害者の姿を初めて見ました。児野被告は検察官の隣に座る友太君と私の夫には頭を下げたものの、傍聴席にいる私や沙也香の兄妹、親族の方は振り返らず、頭を下げることもしませんでした。改めて怒りが込み上げました。
結局のところ、今が一番つらいかもしれません。亡くなる瞬間に立ち会い、火葬場ではバラバラになった骨を拾ったというのに、私は今も沙也香が帰ってくるような気がして、まだ死が受け入れられてないんです。

2018年、兄夫婦の赤ちゃんのお宮参りで、母の美香さんと沙也香さん(家族提供)
――胎児を人とみなさない今の法律については、引き続き声を上げて行かれるのでしょうか。
水川 はい、この問題については、友太君や主人がいまも頑張って動いています。
――たしかに刑法では、『胎児は母体の一部』とされていますが、昭和63(1988)年に最高裁が水俣病事件で『胎児に加えられた侵害が出生後に人に死傷の結果をもたらした場合、業務上過失致死罪が成立する』と決定しているそうで、その後、複数の交通事故裁判で、被害を負った胎児に対しても同様の判決が下されていますね。
ただし、それらはいずれも出生後に死亡や障害といった結果が生じたケースであり、事故時に胎児だったという点のみで判断された例ではありません。
水川 それだけに、日七未の件についてもあきらめることはできません。このままでは、沙也香の命が無駄になってしまいます。沙也香のお腹の中で事故に遭った日七未は、今も24時間の介護を受けながら、人として懸命に生き、成長を続けています。この先、同じ苦しみをする方がなくなるよう、引き続き声を上げていきたいと思っています。
――第3回公判は3月13日、名古屋地裁一宮支部で予定されています。引き続き取材を続けていきたいと思います。
