【これでいいのか危険運転 (1) 】息子の命奪った酩酊犯は飲酒検知すらされず… 90歳父の悔恨
2026.3.17(火)

飲酒や赤信号無視、大幅な速度超過……、「過失」とは言えない悪質な行為による交通事故に厳罰化を求める声が高まり、2001年に新設された「危険運転致死傷罪」。その後、数回の法改正を経て、法制審議会は「危険運転致死傷罪」に新たな数値基準を設け、アルコールについては「呼気1リットルにつき0.5ミリグラム以上」とする案を取りまとめました。
しかし、この流れについて、飲酒運転による悲惨な事故で家族を奪われた遺族からは、疑問や厳しい反論の声が上がっているのもまた事実です。
過酷な実体験に基づく意見や提言は、大変重いものがあります。今回の法改正が実態に即したものとなり、危険運転の抑止力につながることを願いつつ、このシリーズでは、筆者のもとに寄せられている被害者遺族の方々の「肉声」を順次取り上げていきたいと思います。
第1回は、36年前、ご長男(26歳)を酩酊暴走による追突炎上事故で亡くされた現在90歳のお父様に語っていただきました。
【椋樹立芳(むくじゅりゅうほう)さん(90)/三重県在住】

椋樹さんの長男・裕之さんは、飲酒暴走事故の犠牲になりながらも、一度は加害者の汚名を着せられた。椋樹さんはこの事故の記録を詳細にまとめ、本に書き残した(筆者撮影)
<椋樹さんの訴え>
■1滴でも酒を飲んで運転をすれば「危険運転」
危険運転致死傷罪におけるアルコールの数値基準の案が「呼気1リットルにつき0.5ミリグラム以上」でまとまった、というニュースを見たときは、強い怒りを覚えました。
そもそも、「数値基準」とは何ですか? 酒は一滴でも飲んだら運転したらダメなんです。酒を飲んだら絶対に運転しない、運転するなら酒は飲まない、それは当たり前のことで、常識のある人たちは皆それを守っています。
飲酒事故で大切な息子を奪われた遺族としては、もう、怒りが最大になっております。
あの事故さえなければ、息子は今も生きているはずです。そろそろ定年を迎える頃でしょう。婚約者もいましたので、あの加害者が飲酒運転さえしなければ、結婚もして、子どもや孫が生まれていたかもしれません。それが、26歳で終わりとなってしまったのです。
飲酒運転をする者がいなくなれば、こうした被害者が出ることはありません。それだけに、飲酒運転という行為に「数値基準」を設けようとする人たちの気持ちが、私にはどうしても理解できません。
そもそも、酒を飲んでから検知までの時間的な問題についてはどう考えるんでしょうか。
たとえば、測定時に0.3とか0.4ミリグラムでも、1時間前には0.5以上だったかもしれません。ちょっと時間が経過して検知が遅れ、その数値が0.5以下になっていたとしたら、犯人は「0.5未満だからOK、危険運転ではない」と主張することが考えられます。そもそも、「0.5以上」なんていう高い基準値が認められてしまえば、逆に抑止力がなくなると思います。

酩酊の暴走車に追突され、突然命を奪われた椋樹裕之さん(遺族提供)
■「被害者」と「加害者」が取り違えられて
アルコールの数値基準に関する議論だけが独り歩きしている感じがしますが、その前に必要なのは、適正な捜査です。
うちの息子が犠牲になった事故では、複数の車が玉突き状態になり、1台が炎上。死傷者も複数いたため、事故直後の現場は大混乱だったようです。そんな中、現場検証に当たった警察は、加害者の車が息子の車より前方で停止していたことから事故状況を見誤り、一番後ろで180度回転し、燃えていた息子の車を「加害者」だと誤認して、マスコミに発表してしまったのです。息子は現職警察官だったこともあり、この事故は「警察不祥事」として全国的に大きく報道されてしまいました。
警察署で対面した息子は真っ黒に焦げ、変わり果てた姿でした。顔面と頭部は骸骨寸前、手の指は欠損、身に着けていた衣服も、胴体と足の皮膚も、完全に焼けていました。
私は葬儀のとき、まだ真実を知らず、他人様に迷惑をかけてしまった息子の棺を蹴ってしまったのです。今も本当に申し訳なく、悔やんでいます。

事故直後の現場。右が炎上した裕之さんの車、その隣の白い車が加害車両(遺族提供)
■真犯人は20歳の男。酩酊状態で蛇行、暴走していた
ートル手前では、猛スピードで蛇行運転をする白い加害車両が、はっきり目撃されていました。それなのに、息子は初動捜査のミスで「加害者」として全国的に報道され、卑劣な暴走運転者の汚名を着せられたまま、一人で泣きながら旅立っていったのです。
息子はその後、被害者であったことが認められました。しかし、事故翌日の誤った大報道は簡単には消えません。今もまだ、息子が追突したと思い込んでいる人がいますし、中には『警察官だからうまくやってもらったんだろう』という目で見ている人がいるかもしれません。
ちなみに、加害者は当初「被害者」として扱われていたので、飲酒検知すらされていなかったようです。少なくとも私は、加害者のアルコール濃度の記録を一度も見たことはありません。
「危険運転致死傷罪」にいくら数値基準が設けられたとしても、これではどうしようもありません。重大事故が起こった場合は、全ての当事者にアルコール検知を行うなど、捜査の段階からルールを徹底する必要があるでしょう。
今回の法制審議会の議論を見ていると、いったい何のための「危険運転致死傷罪」なのかと思ってしまいます。飲酒運転によって実際に悲惨な思いをした被害者や遺族たちの意見は聞かなかったのでしょうか。
違反だと知りながら酒を飲んでハンドルを握る行為は、明らかに「故意」による危険運転です。車は凶器にもなりえます。こうしたドライバーの無責任な行為が、どれだけ多くの人の命をなきものにし、家族の人生をも変えてしまうか……。酒を飲んで運転をする人にはぜひ認識していただきたいです。
【事故DATA】
●発生日時/1990年3月17日午後10時50分頃
●事故現場/名古屋市中川区の交差点
【事故概要】
椋樹裕之さん(26)が運転する乗用車が信号待ちで停車中、時速100キロ近い速度で走ってきた乗用車がノーブレーキで追突。複数台が絡む多重衝突となり、椋樹車は炎上し、裕之さんは車の中で焼死した。
本件は事故後、加害車が椋樹車より前方に停止していたことから、警察が初動捜査を誤り、裕之さんが追突の「加害者」とされ全国報道された。
ところがその後、事故車の痕跡等から被害者と加害者が取り違えられていたことが判明。警察は被害者とされていた真犯人の男(当時20)を逮捕した。
加害者は事故直前まで友人と酒を飲み、酩酊状態だったため、危険を感じた友人が車のキーを取り上げていた。にもかかわらず、スペアキーを取り出して強引に運転。しかし、事故直後は「被害者」として扱われていたため、アルコール検知はされていなかった。
加害者は業務上過失致死傷罪(当時)で起訴されたが、本件では弁護団が、『警察は仲間の名誉のために被告を不当に逮捕した』と無罪を主張。そのため、公判は一審で42回、二審で4回、計46回行われ、懲役2年の一審判決が確定するまでに、6年という異例の長期裁判となった(判決/平成7年6月28日 名古屋高等裁判所)。
●父親・椋樹立芳さんのHP
●椋樹さんの事故を取り上げた記事
父はなぜ、息子の棺を蹴ったのか…「加害者」取り違えた警察の捜査ミスと30年間消えぬ飲酒事故遺族の遺恨(柳原三佳) - エキスパート - Yahoo!ニュース

遺族が作成した現場図
