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交通事故で命奪われた娘は、亡き妻の忘れ形見… 「ながらスマホ」で信号無視がなぜ過失なのか

2023.4.12(水)

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交通事故で命奪われた娘は、亡き妻の忘れ形見… 「ながらスマホ」で信号無視がなぜ過失なのか

■父は訴える、なぜこの事故が『危険運転』ではないのか…

「娘の玲菜(れな)は、大学院への進学を目前に、ながらスマホ、赤信号無視、速度超過の大型トラックに殺されました。加害者のトラックは玲菜が乗客として乗っていたタクシーにノーブレーキで衝突したのです。25トンもある、あの大きな鉄の塊が時速60キロで突っ込んでくる瞬間、どれだけ怖かったことでしょうか……。私もトラックドライバーですが、大型車を扱う職業ドライバーとして、こんな運転は絶対にありえません。私からしたら考えられないんです。最低限のルールさえ守らずに起こした死亡事故が、『危険運転』ではなく『過失』で処理されていいのか? 使用者の責任は問われないのか? どうかこの理不尽な現実を世間に届けてください」

 そう語るのは、兵庫県尼崎市の重田直樹さん(56)です。

亡くなった次女の玲菜さんの遺影を手にする父親の重田直樹さん(遺族提供)

亡くなった次女の玲菜さんの遺影を手にする父親の重田直樹さん(遺族提供)

 事故は2020年11月19日、午前10時10分頃、兵庫県尼崎市武庫川町の国道43号交差点で発生しました。青の矢印信号で交差点を右折中だったタクシーに、対向の大型トラックが信号無視で衝突。タクシーに乗っていた重田玲菜さん(22)が死亡、タクシー運転手(当時57)も重傷を負ったのです。

 トラックを運転していた島根県松江市の曽田和孝容疑者(山陰運送株式会社/当時50)は、自動車運転死傷行為処罰法違反容疑で現行犯逮捕されました。

<事故発生を報じる当日のMBSニュース>

■事故直後、加害者は言った。『あ~、すごい事故起こしたわ~!』

 被害者参加制度を利用して父親の直樹さんと共に刑事裁判に参加した姉の和泉優樹さん(29)は、辛い記憶を振り返ります。

「私たちは、事故の瞬間が記録されているドライブレコーダーの映像を刑事裁判の法廷で初めて見ました。そこには、加害者が事故前からスマホで運送会社の同僚と話をしている音声がしっかり残されていました。この日はハンズフリーの充電が切れており、右手でスマホを握っていたそうです。話の内容は、ご飯がどうとか、美味しい店があるとか、どうでもいい世間話でした。そして、タクシーに衝突した直後、加害者は『あ~、すごい事故起こしたわ~!』と言って電話を切り、救助活動もせずにトラックを停めていました」

事故現場の交差点。タクシーは右折信号に従って右折中、手前から信号無視して走ってきたトラックに衝突された(遺族提供)

事故現場の交差点。タクシーは右折信号に従って右折中、手前から信号無視して走ってきたトラックに衝突された(遺族提供)

 優樹さんと直樹さんは、続いてタクシーのドライブレコーダーも見たといいます。

「玲菜はタクシーの運転手さんと朗らかな声で会話をしていました。私はその動画を見ながら思わず『お願い、もう、ここで止まって、それ以上行かんといて……』と、心の中で叫びました。正直言ってあまりに辛く、目に涙が溜まりすぎて直視できませんでした」(優樹さん)

 下の写真は、玲菜さんが乗っていたタクシーです。左後部が大きくえぐられ、衝突の衝撃の大きさを物語っています。

信号無視のトラックに衝突され大破したタクシー。玲菜さんは後部座席の左側に乗車しており直撃を受けた(遺族提供)

信号無視のトラックに衝突され大破したタクシー。玲菜さんは後部座席の左側に乗車しており直撃を受けた(遺族提供)

■出産直後に亡くなった母。玲菜さんの将来への夢

 優樹さんは語ります。

「事故直後、運転手さんは『お客さん、大丈夫ですか!』と必死で叫んでいました。でも、玲菜の返事は聞こえませんでした。後部座席に乗っていた玲菜はトラックの直撃を受け、腕の粉砕骨折のほか、肋骨が肺に突き刺さり……。医師が直接心臓マッサージをしてくださいましたが、家族は誰一人駆けつけることもできず、1時間後、たった一人で息を引き取ったのです」

 幼くして実母を亡くした優樹さんにとって、妹の玲菜さんはかけがえのない存在でした。

「私たちの母は、玲菜を出産したときに大量出血し、2週間後、一度も意識を回復することなく亡くなりました。当時4歳だった私と生まれたばかりの玲菜は、叔母と祖父母、そして父が大事に育ててくれました。そんな私たち家族の中心にはいつも明るく朗らかな玲菜がいました。玲菜は亡き母の大切な生き形見でした。大学院への進学を決めたのも、自分のように親のいない子の力になりたいという思いから、臨床心理士の資格を取り、児童養護施設で心理職員として仕事をすることを夢見ていたのです。それなのに、あの日、すべてが奪われてしまったのです」

姉の優樹さんの長女を抱く玲菜さん。子供が大好きだったという(遺族提供)

姉の優樹さんの長女を抱く玲菜さん。子供が大好きだったという(遺族提供)

■新型コロナ感染で、通夜・葬儀に参列できなかった父の悔恨

 実は、玲菜さんは11月12日に新型コロナウイルスに感染していることがわかり、14日からホテルで療養していました。幸い軽い症状で回復し、19日はタクシーで帰宅途中でした。
 事故はまさに、自宅まであと500メートルという地点で起こったのです。

 玲菜さんに続いて新型コロナウイルスに感染し、同じホテルで療養中だったという直樹さんは、無念さをにじませます。

「事故当日の朝7時過ぎ、私は玲菜からのLINEで目が覚めました。それは、『9時半に帰ることになったけど、パパ、玲菜が使っていないバスタオルがあるから使う?』というメッセージでした。玲菜はいつも他人のことを気遣う優しい子でした。もしあのとき、私がバスタオルを受け取っていれば、1分でも玲菜に会っていれば、玲菜は事故に遭うことはなかったのでは……。その思いが幾度もよぎり、今も自分を責める日々を過ごしています」

 直樹さんは事故後も感染中だったことから、玲菜さんの通夜、葬儀に参列することが許されなかったといいます。

「ただ、葬儀場の方のご厚意で出棺のときだけ玲菜に会うことができました。といっても、わずか1分です。それが、亡き妻が命をかけて産んでくれた大切な娘との最後の別れとなったのです」

大学の入学式で笑顔を見せる玲菜さん(遺族提供)

大学の入学式で笑顔を見せる玲菜さん(遺族提供)

■ながらスマホを厳しく断じながらも「過失」で禁錮3年6月

 ながらスマホでの速度超過で信号無視――、これほど悪質な違反を重ねたうえでの死亡事故は「危険運転致死傷罪」で起訴されるべきではないのか……。直樹さんたちは検察に出向き、懸命に訴えたといいます。

 しかし、検察官は遺族の思いに寄り添いながらも、『今の法律では無理。もっとこうした事故で人が亡くならないと法律が変わらない』という内容の説明をし、結果的に加害者は「過失運転致死傷罪」で起訴されました。

 そして、事故から1年後の2021年11月22日、神戸地裁尼崎支部が下したのは、禁錮3年6月の実刑判決でした。

 判決文には「量刑の理由」について、以下のように厳しい文言が記されていました。特に「ながら運転」の危険性や責任に言及した部分について、要点のみ抜粋します。

<判決文より抜粋>

 特に慎重な運転が求められる大型トラックを運転走行中、右手にスマートフォンを持って着信のあった同僚に電話を折り返し、同機を自己の右耳に当てて保持したまま、約9分33秒間もの長時間にわたって通話を続けていたために、通話に気を取られて赤色の信号を見落とし、指定最高速度を時速約20キロ超過する速度のまま交差点に進入するというおよそ考えられないような無謀かつ危険極まりない運転をした結果として右折可青色矢印信号に従って右折進行してきたタクシーの発見が遅れ、急制動の措置を講じる間もなく惹起されたものである。

 自動車運転上のきわめて基本的な注意義務を怠った被告人の過失は極めて大きい。被告人は日常的に安全運転を心がけていたと供述する一方で、本件犯行当日は、何ら必要性も緊急性もない同僚との他愛もない内容の長時間の通話を漫然と続けており、本件以前にも、無線イヤホンが使用できなかった際に同様の「ながら運転」を複数回したことがあると自認していることに照らすと、被告人には日常的に長時間の運転を行う職業運転手であったが故の慢心があり、緊張感が弛緩しており、安全意識も不十分なものであったと指摘せざるを得ず、本件犯行に至った経緯や動機に酌量すべき事由はまったく見いだされず、強い責任非難を免れない。

 被告人の刑事責任は、同種の過失運転致死傷の事案の中で相当重い部類に属するものである。また、罰則が強化されてもなお「ながら運転」に起因する死傷事故が後を絶たない現状に照らすと、一般予防の観点からも、被告人の「ながら運転」が過失の中枢である本件については、相応の重い刑を以て臨むことが相当である。

令和3年11月22日

神戸地裁 佐川真也裁判官

 実刑判決を受けた曽田被告は、現在刑務所に収監中です。

 姉の優樹さんは語ります。

「裁判官は判決文の中で、加害者の『ながら運転』について厳しく批判していますが、この事故は危険運転致死傷罪で起訴されませんでした。日本の法律では、ながらスマホで信号無視をして人を殺したとしても、刑はこんなに軽いのですね……。危ないとわかっていてもその後のことは考えず、飲みたいから飲む、まさに飲酒運転と同じです。それなのになぜ『過失』という言葉がつくのか? その言葉ひとつで刑が軽くなり、遺族はさらに苦しみを重ねなければならないのです。今の法解釈では難しい部分もあるようですが、ながら運転が少しでも減ることを願いながら、遺族として声を上げていきたいと思っています」

玲菜さん(中央)の中学卒業を祝う姉の優樹さん(左)と父の直樹さん(遺族提供)

玲菜さん(中央)の中学卒業を祝う姉の優樹さん(左)と父の直樹さん(遺族提供)

■運送会社社長の直接謝罪はなし。民事裁判でも控訴され…

 一方、民事裁判は、2022年12月26日に一審判決がありました。裁判所は遺族側の主張どおり、大学卒業直前に亡くなった玲菜さんの逸失利益を、進学が予定されていた大学院卒業前提に算出し、これを認めました。しかし、被告(加害者)側はこれを不相当として控訴してきたといいます。

 父親の直樹さんは語ります。

「玲菜の死から3年目になりますが、私たち遺族は民事裁判でまた傷つけられています。それだけではありません、これほど悪質で重大な事故を起こしながら、山陰運送の社長からはこれまで直接の謝罪が一度もないのです。玲菜が乗っていた阪神タクシーの方は、事故の過失がまったくないにもかかわらず『お客様を安全にお送りすることができず申し訳ありませんでした……』と、土下座までして謝罪し、コロナ禍で困難だった葬儀場探しにも尽力してくださったというのに……」

 ちなみに、この事故の原因となった『ながら運転』には、山陰運送の社員が少なくとも2名絡んでいます。加害者と電話で話していた同僚のドライバーも同じく業務で運転中だったのです。

「山陰運送のHPのトップには野々村健造社長のあいさつ文として『企業の社会的責任を果たすために、全社を挙げてコンプライアンスの徹底や交通事故を始めとするあらゆる事故の撲滅を経営の最優先課題として取組んでおります』と記されています。しかし、同社の社員は2人ともながら運転をしていました。私の勤める運送会社では、運転中のドライバー同士が電話をかけ合い、業務と関係のない無駄話をするなんて絶対に考えられないことです。結果的にこうした重大事故を起こした使用者責任を、そして再発防止策を、社長はどう考えるのでしょうか。私はぜひ聞きたいのです」

信号無視でタクシーに衝突した直後、路肩に停止した加害者の大型トラック(遺族提供)

信号無視でタクシーに衝突した直後、路肩に停止した加害者の大型トラック(遺族提供)

 事故から2年後(2022.11.15)、社長が民事裁判に証拠提出した陳述書の中には、『ご遺族へのお詫びは、代表者である私が、即座に向い直接申し上げるべきであったと、代表者としても私個人としても深く反省しております』と記載されていますが、遺族との直接の面談は、今後予定されているのでしょうか。
 山陰運送株式会社に尋ねたところ、

「社長はグループ企業のオーナーで当社の通常の職務については察知しておらず全くノータッチというのが現状です。申し訳ありませんが、現在民事裁判が係争中ということもあり、これ以上の内容についてはお答えできません」(常務取締役)

 という回答が返ってきました。

 母親代わりとして、優樹さん・玲菜さん姉妹をわが子のように育ててきたという叔母の藤澤かおりさん(50)はこう訴えます。

「ながら運転が厳罰化されたというのに、今も見かけない日はありません。高速道路でもスマホを持ちながら運転している人たちがいます。『危ない!』って思った時には本当に遅いんです。加害者にも被害者にもなり、家族にまで被害が及ぶことをもっと理解してハンドルを握ってもらいたいです」

 家族の愛情を受け、明確な夢に向かって努力を重ねてきた玲菜さん。その夢は、プロドライバーの慢心による「ながら運転」によって、一瞬にして壊されてしまいました。
 さらに今、加害者側は、何の落ち度もない玲菜さんの「逸失利益」の減額を主張してきています。大学卒業と大学院進学を目前に一方的に命を奪われた被害者の将来の可能性は、果たしてどう評価され、算出されるべきなのか……。

 民事裁判控訴審の1回目は、5月9日10時40分から大阪高裁にて開かれる予定です。

玲菜さんの墓前で手を合わせる父の直樹さん(遺族提供)

玲菜さんの墓前で手を合わせる父の直樹さん(遺族提供)