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「ひろゆきさん、覚えていてくれてありがとう」【高知白バイ事件】から19年、実刑のバス運転手が語る今

2025.6.30(月)

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「ひろゆきさん、覚えていてくれてありがとう」【高知白バイ事件】から19年、実刑のバス運転手が語る今

 先日、実業家で「2ちゃんねる」開設者のひろゆき氏が、自身のYouTubeで『財務省の公用車ひき逃げ事件の闇』という動画を公開しました。

 その冒頭、2006年に発生した『高知白バイ事件』(動画内では”香川“と言い間違えておられますが…)を例示し、権力のある者が加害者になったときの理不尽な捜査の問題について言及されていました。

 この動画に寄せられた2000件を超えるコメントの中には、高知白バイ事件に関するものが数多く見られました。

『高知白バイ事件は後世まで語り継がれるべき事件』

『高知の件はマジで許されない。警察だからって何しても良いわけない』

『白バイの人間を守る事は100万歩譲ったとしても、何の罪もない人に罪を負わせる事はあまりにも悪』

『あれは、絶対に冤罪ですよ。警察が、証拠をねつ造したんですよね。テレビの番組でも検証して専門家の人もタイヤ痕も擬装された物だって言っていました。バスに乗っている人の証言もあったのに有罪になってしまった。権力は、使い方で武器に成ります。恐い、と思いました。 未だに納得できません』

 事故発生からすでに19年の歳月が経過しています。にもかかわらず、こうして今も多くの人たちが本件を記憶にとどめ、問題意識を持ち続けているのです。

■1年半前、同じ四国で起こっていた「愛媛白バイ事件」

 実は、高知白バイ事件の被告であったバス運転手・片岡晴彦さんから連絡をいただき、メディアで最初に取り上げたのは私でした。

 ちょうどその少し前、高知県のお隣である愛媛県松山市で、高校生のバイクと愛媛県警の白バイとの衝突事故、いわゆる「愛媛白バイ事件」が発生し、大きな問題となっていました。

 本件で重傷を負った高校生の母親から「息子は被害者なのに、加害者扱いされている」という連絡を受けた私は、「フライデー」「ミスターバイク」「ニューモデルマガジンX」「週刊朝日」といった複数の雑誌で記事を執筆し、また、当時『もう、泣き寝入りはしない』というタイトルでシリーズ化されていた、テレビ朝日の「スーパーモーニング」でも特集していたのです。

2004年11月に発生した『愛媛白バイ事件』、事故直後の現場(被害者提供)

2004年11月に発生した『愛媛白バイ事件』、事故直後の現場(被害者提供)

 ちなみに、愛媛白バイ事件では、高校生側が「足をついて止まっていたら、白バイが突然突っ込んできた」と主張し、事故を間近で目撃していた人の具体的な証言もありましたが、警察はそれを無視。高校生は、「白バイにぶつかり、隊員に重傷を負わせた」として少年審判にかけられていました。しかし、ご両親が懸命に検証活動を行って粘り強く闘った結果、高裁で不処分(逆転無罪)を勝ち取っています。

 こうした一連の報道を見て「私も白バイとの事故に遭い、全く同じ状況で苦しんでいます」と連絡をくださったのが、愛媛白バイ事件の約1年半後に起こった「高知白バイ事件」のスクールバス運転手・片岡晴彦さんでした。

 片岡さんも当初から「バスは止まっていました」と供述し、それを裏付ける多くの目撃証言がありながら無視されて、逮捕。業務上過失致死(当時)で起訴されていたのです。

事故直後の現場(片岡氏提供)

事故直後の現場(片岡氏提供)

 では、片岡さんはなぜ無罪を訴えながらも、実刑判決を受け、刑務所に収監されることになったのか、そして、刑期を終えて出所されてから、どのような思いで暮らしてこられたのか。

 今回のひろゆき氏のYouTubeをきっかけに、片岡さんといろいろお話をすることができましたので、あらためて振り返りたいと思います。

事故から8か月後、突然出てきたバスのスリップ痕写真。片岡さんは事故直後、この痕跡を確認していなかったという。ABS付きのバスがこの痕跡をつけられるのか? 疑問が残る(片岡氏提供)

事故から8か月後、突然出てきたバスのスリップ痕写真。片岡さんは事故直後、この痕跡を確認していなかったという。ABS付きのバスがこの痕跡をつけられるのか? 疑問が残る(片岡氏提供)

■バスに乗っていた生徒たちは「止まっていた」と証言

――つい最近、ひろゆき氏のYouTubeで、高知白バイ事件のことが取り上げられ、たくさんの方からコメントが寄せられているようですね。

片岡 はい。その話を聞いて驚きましたが、19年経っても忘れずに取り上げていただき、ありがたい限りです。

――事故は2006年(平成18年)3月3日、午後2時30分頃に発生しました。あの日は中学校の卒業遠足で、片岡さんが運転するスクールバスには生徒22名と教員3名が乗っていたのですよね。

片岡 そうです。バスが国道56号線沿いのレストランから右折横断するかたちで進入しようとしたところ、右側からかなりの速度で直進してきた白バイと衝突し、26歳の白バイ隊員の方が胸部大動脈破裂でお亡くなりになったのです。

――事故の直後、片岡さんは逮捕され、手錠をかけられたそうですね。私はバスに乗っていた複数の生徒さんに話を聞きましたが、皆さん、『バスは止まっていたのに、どうしてハルさん(片岡さんの愛称)が逮捕されないといけないのか、訳が分からなかった』と証言してくれました。中にはあまりの理不尽さに泣き出した子もいたようですね。

片岡 はい。複数の生徒や、バスのすぐ後ろに車でついていた校長も「間違いなくバスも自分も止まっていた」と証言してくださったのですが、警察には聞き入れられませんでした。

――私はその校長先生にもお会いし、直接話を聞きましたが、はっきりと「バスは止まっていた」とおっしゃっていました。それでも裁判では、死亡した白バイ隊員の仲間による「バスは動いていた」という証言が採用され、結果的に片岡さんの実刑判決が確定してしまいました。収監される当日の片岡さんのお姿、今思い返しても偏った判決に憤りがこみ上げます。

片岡 裁判では「真実を述べ、嘘偽りを述べない」という宣誓書を読まされますよね。だから僕は、嘘偽りは述べず、真実だけを述べたんですが、「お前は反省がない」と言われ、結局、禁錮1年4か月の実刑判決になってしまいました。

――なんということでしょう。かなり悪質な事故でも、交通事故の場合、ほとんどの事案で執行猶予が付くのに、無事故・無違反の片岡さんが実刑判決を受けるなんて……。

無罪を立証するために同型バスを使って検証実験をしていた頃の片岡晴彦さん(筆者撮影)

無罪を立証するために同型バスを使って検証実験をしていた頃の片岡晴彦さん(筆者撮影)

■最優先は白バイ隊員の遺族のことだった

――片岡さんから初めてお電話をいただいたのは、刑事裁判の一審が始まった直後でした。あのとき私は、片岡さんに、「納得できないと思われるなら、一審判決が出る前に動くべきです」と言いました。

片岡 そうでしたね。

――でも、片岡さんはあのとき、「白バイ隊員には双子の小さなお子さんがいるので、ご遺族にはできるだけのことをやってあげたいし、今あまり騒がない方がいいのかも」そう言ってとても悩み、結局、一審判決が出るまでは沈黙しておられました。あの当時から、まず亡くなった隊員のご遺族のことばかり考えておられる感じでしたね。

片岡 白バイ隊員のご遺族にしてみれば、一家の柱が欠けたわけですし、奥様とまだ9カ月の双子さんが遺されて、それがとても気がかりでした。

――一方で、この事故でまさか自分が刑務所に入れられるなんて、思っておられなかったのでは?

片岡 もちろん、自分は止まっていただけなので、そんなことは全く想像もしていなかったですね。でも、結果的に、高裁でも実刑判決が覆ることはありませんでした。ただ、今思えば、行政処分のときに異議申立てを取り下げたことがすべての始まりだったような気がします。警察からは、「おまえが処分を受け入れさえすれば、ご遺族はきちんと賠償される」といったことを言われて……。

――結局、警察は片岡さんの誠意をうまく利用したと?

片岡 そうかもしれませんね。

――2010年2月、1年4か月の刑を終えて、加古川刑務所から出所されました。その後はどのように過ごされてきたのでしょうか。

片岡 免許取り消しの処分をされていたので、とりあえず5月に普通免許を取りに行きました。とはいえ、大型2種の免許は取り上げられ、元に戻すことはできなかったので、それが一番痛かったですね。

――出所後はバスの運転手はできなくなったわけですが、どのようなお仕事をされてきたのでしょうか。

片岡 最初は、地元の土木会社で1年ちょっと不慣れな仕事をさせてもらって、それからいろいろな方の紹介で、地元の老人ホームの送迎、弁当の配食、水道メーターの検針など、複数の仕事を掛け持ちしながら本日に至っています。最近は介護施設の宿直もやらせてもらってます。

――夜勤などたくさんのお仕事を掛け持ちで、大変だったのですね。

片岡 運転手の仕事を奪われてしまいましたからね。でも、その間に子供たちが結婚したり、孫ができたり、家族の中でいろいろ楽しい思い出を作ってくれてるのでありがたいと思っています。

■事故から間もなく20年、残り少ない人生穏やかに過ごしたい

――来年、事故から20年となります。白バイ隊員のお子さんは成人し、あの日バスの中にいた生徒たちも35歳になるのですね。

片岡 はい。本当に早いものですね。

――片岡さんは毎年、事故のあった3月3日には、ご夫婦で事故現場へ出向き、献花を続けてこられたそうですね。

片岡 はい。これまでの裁判で、私は「バスは止まっていた」と主張してきました。でも、亡くなった白バイ隊員に対しては、どこにいても毎年手を合わせております。

――最近も大きな冤罪事件が起こり、捜査機関が謝罪するような事態が相次いでいます。でも、片岡さんがそうであるように、冤罪を訴えてもそれが覆るケースはほんの一握りですね。再審の可能性はいかがですか。

片岡 2018年に再審請求を最高裁に棄却されてからは、動きがありません。支援する会も解散し、今は弁護士さんもいない状態です。まあ、悔しさはありますが、同じようなことが起こったとき、高知白バイ事件の真実を少しでも参考にしてもらえればという思いはあります。

――現実的には、裁判でくつがえすことは大変難しいのかもしれません。でも、こうして、時間が経っても「高知白バイ事件」のことを世の中に知ってもらい、風化を防ぐことは大切ですね。

片岡 今回も、ひろゆきさんがYouTubeで取り上げてくださったことで、たくさんの方に再び「高知白バイ事件」のことを思い出していただくことができました。それは本当にありがたいことです。私としては辛いことも多かったですが、この事故をきっかけに、同じ思いをされた冤罪被害者の方々や、元愛媛県警の仙波敏郎さんのように、正義感のある多くの方と出会い、今も皆さんとお付き合いを続けさせていただいていることは幸せです。この先、残り少ない第二の人生を個人的に楽しく、穏やかに過ごしていければ、と思っています。

――ありがとうございました。私も引き続き取材を続けていきたいと思います。

布川事件で29年間の投獄の末、無罪を勝ち取った桜井昌司氏(左・故人)と高知市内で。桜井氏も片岡さん(右)を支援しており、二人はともに四国遍路の旅をしたこともあるという。中央は筆者(筆者の知人撮影)

布川事件で29年間の投獄の末、無罪を勝ち取った桜井昌司氏(左・故人)と高知市内で。桜井氏も片岡さん(右)を支援しており、二人はともに四国遍路の旅をしたこともあるという。中央は筆者(筆者の知人撮影)