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亡くなった娘と撮った家族写真 赤信号無視の車に断ち切られた未来

2021/3/22(月)

Yahooニュース

亡くなった娘と撮った家族写真 赤信号無視の車に断ち切られた未来

令和2年3月14日、葛飾区四つ木五丁目の交差点で11歳の一人娘が赤信号無視の直進車に轢かれてほぼ即死でした。娘は主人と青信号の横断歩道を歩いていて、主人は大怪我で生き残りました。

「波多野耀子(ようこ)、事故」で検索すると当時の報道が出てきます。

柳原さん、どうか一度、話を聞いてください……。

 3月15日、私のもとに1通の切実なメールが届きました。

 小学5年生だったお嬢さんを交通事故で亡くしてちょうど1年、初めての命日を迎えたばかりのご両親からでした。

赤信号無視の車にはねられて亡くなった波多野耀子さん。とても素直で明るい性格だったという。事故がなければ、今月、沢山のお友だちと一緒に晴れやかに小学校を卒業するはずだった(遺族提供)

赤信号無視の車にはねられて亡くなった波多野耀子さん。とても素直で明るい性格だったという。事故がなければ、今月、沢山のお友だちと一緒に晴れやかに小学校を卒業するはずだった(遺族提供)

メールはこう続きました。

加害者の男性(68)は、事故から1年近く経っても未だに起訴すらされていません。検察には「危険運転致死傷罪で起訴してほしい」と何度も意見を届けてきましたが、検察内でも「過失運転致死傷罪」との間で判断が割れているらしく、ここまできてしまいました。

ところが昨日、娘の命日になって突然、「3月末で担当検事が異動になるので今月中に起訴する予定のようだが、危険運転での起訴は難しいかもしれない……」という連絡が入ったのです。(中略)

私たちは今、一般常識から考えて明らかに危険な運転によってもたらされた被害の大きさ、悲惨さを、娘の事故を通して多くの方にきちんと知っていただくべきなのではないか、そう思うようになったのです。

青信号で横断歩道を渡っていた耀子さんとお父さんを信号無視ではねた加害者の車。フロントガラスが激しく破損している。「よろず屋ニュース」の画面より(筆者撮影)

青信号で横断歩道を渡っていた耀子さんとお父さんを信号無視ではねた加害者の車。フロントガラスが激しく破損している。「よろず屋ニュース」の画面より(筆者撮影)

■ホワイトデー、パパの好きな寄せ鍋を用意して……

 メールを読み、すぐに波多野さん夫妻と連絡を取り合った私は、3月20日、葛飾区の事故現場へ向かいました。

 耀子さんとお父さんが軽ワンボックスにはねられた横断歩道の脇には、6日前の命日に手向けられた花が今もたくさん供えられていました。

現場交差点。加害車は第一車線(一番左)を手前から走行し、赤信号を無視して交差点に進入。駐車車両を避けて右にハンドルを切りながら時速約57キロで、横断歩道を右から左へ渡っていた父娘をはねた(筆者撮影)

現場交差点。加害車は第一車線(一番左)を手前から走行し、赤信号を無視して交差点に進入。駐車車両を避けて右にハンドルを切りながら時速約57キロで、横断歩道を右から左へ渡っていた父娘をはねた(筆者撮影)

 現場は変形した大きな交差点で、上の写真を見てもわかるとおり、加害車側の停止線(*この写真には写っていないが写真の下部のあたり)から横断歩道まではかなりの距離があることがわかります。

 波多野さん夫妻は、耀子さんが渡りきることのできなかった横断歩道の先に佇みながら、その日のことを振り返ります。

「あの夜、主人は髪を切るため、近くの理容室へ娘を一緒に連れて行っていました。3月14日はホワイトデーなので、私は娘に「今日は、遅くなるようならパパと2人で食べてきていいよ」と伝えましたが、娘はどうしても家族3人で食べたいというので、自宅で夕食の準備をしていました。実は、娘のリクエストはパスタだったのですが、あの日は珍しく東京に雪が降り、とても寒かったので、パパの好きな寄せ鍋にしたのです」

 しかし、そのお鍋を家族3人で囲むことは、叶いませんでした。

事故前年、10歳の「ハーフ成人式」の記念にドレスと着物姿を撮影した耀子さん。「お嫁に行くときは、こんなかな……」パパがそうつぶやいていたのを、お母さんは今も覚えているという(遺族提供)

事故前年、10歳の「ハーフ成人式」の記念にドレスと着物姿を撮影した耀子さん。「お嫁に行くときは、こんなかな……」パパがそうつぶやいていたのを、お母さんは今も覚えているという(遺族提供)

■母が目の当たりにした事故直後の凄惨な現場

 お母さんは1年前の辛い記憶を、静かな口調で語ります。

「そろそろ二人が帰ってくる頃だな、と思っていたら、突然、耀子に持たせているキッズ携帯の防犯ブザーが鳴り出しました。なにが起こったのかと思い、電話をかけなおしても、雑音だけしか聞こえません。すぐに主人の携帯に電話をしても出ないので、おかしいなあと思っていたら、マンションのすぐ前を通る国道6号線(水戸街道)のほうから、けたたましい救急車のサイレンが聞こえてきたのです」

胸騒ぎを覚えたお母さんは、鍋の火を消し、万一のために保険証などを持って自宅マンションを飛び出しました。
そして、救急車の灯りが見える現場へと駆けていくと、まず目に飛び込んできたのは、フロントガラスを大破させた白い軽ワンボックスと、大量の血を流して国道に横たわる夫の姿でした。

「パパ、大丈夫! 私がそう声をかけると、主人はかすかに動いていましたが、意識はほとんどありません。それでも主人は、一点を見つめて懸命に動こうとしていました。その目線の先に娘が倒れていました。私はすぐに、離れたところに倒れている耀子の元へと駆けつけました。すでに洋服が切られ、救命措置を受けていました。救急隊員に自分が母親であると名乗り、一緒に救急車に乗り込みました。でも、病院に到着する前に、娘の心電図のモニターは反応しなくなり、21時18分、救急車の中で心肺停止となりました。一体なにが起こっているのか、全く理解できませんでした……」

お父さんの左側を歩いていた耀子さんは、左側から赤信号無視で突っ込んできた軽ワンボックスに衝突され、首の骨を折り、ほぼ即死の状況だったそうです。

一方、お父さんの方は左下腿の開放骨折の他、脾臓損傷、顔面骨折、顔面創傷などの重傷を負い、意識不明のまま燿子さんとは別の病院に搬送され、緊急手術を受けることになりました。

お母さんは突然の娘の死に直面しながら、その夜は夫がどこの病院に運ばれたのか、生きているのかもわからないまま数時間を過ごしました。

耀子さんが持っていたキッズ携帯。ストラップにはパパからもらった沖縄土産がつけられている(筆者撮影)

耀子さんが持っていたキッズ携帯。ストラップにはパパからもらった沖縄土産がつけられている(筆者撮影)

■娘の遺体を夫の病院へ搬送してもらって撮影した、最期の家族写真

「主人は緊急手術を受け、朦朧としているにもかかわらず、『耀子は…、耀子は…』と、うわ言のように繰り返しました。身体にはまだたくさんの管が?がれています。そんなときに、娘の死を告げたらどうなるか不安だったのですが、事故から2日後、仕方なく真実を話したのです」

 最愛の一人娘の死を告げられたとき、お父さんは何を思ったのでしょうか。

「轢かれた衝撃で、私には事故の瞬間の記憶がないため、一体何が起こっているか理解ができませんでした。ただ、事故に遭って、自分の身体が動かなくなっていたので、一緒にいた耀子も相当な重傷を負っているのではないか、とは思いました。でも、まさか死んでしまうなんて、とても想像はできませんでした」

 医師からは、お父さんの今の容態では、通夜や葬儀に参列することは難しいだろうと言われていました。そうなれば、家族3人で一緒に過ごす時間は、もう二度とないことになります。

『せめて一目でいいから、耀子とパパを会わせてあげたい……』

 お母さんは振り返ります。

「私は、警察や葬儀社、病院に頼んで、娘の遺体を主人が入院している病院まで運び、対面の時間を取れないかとお願いしました。そうしたら、皆さん、本当に親切に対応してくださって、なんとかそれを実現をすることができたのです」

耀子さんの遺体は、重傷を負って入院していた父親の病院に一時的に運ばれ、事故後、父娘は初めて対面した。そして、家族3人で最期の家族写真を撮影することができた(遺族提供)

耀子さんの遺体は、重傷を負って入院していた父親の病院に一時的に運ばれ、事故後、父娘は初めて対面した。そして、家族3人で最期の家族写真を撮影することができた(遺族提供)

「これは、そのとき、警察官の方が撮ってくださった私たち親子の、最後の家族写真です」

 そう言って、お母さんが見せてくださったその写真には、生前、お気に入りだった服を着て今にも動き出しそうな耀子さんと、彼女を真ん中にして寄り添い、カメラを見つめている両親が写っています。

 お父さんはまだ起き上がれる状態ではありませんでした。それでも車いすに乗って、その大きな手で耀子さんの髪に優しく手をやり、お母さんも耀子さんに頬ずりしながら優しい笑みを浮かべています。

 事故から7日後、耀子さんの葬儀が営まれました。
   病院からは外出を止められていました。しかし、お父さんはどうしても娘との最後の別れをしたいと切望し、車いすに乗って、喪主として葬儀場に赴きました。
 そして式の最後に、病院でしたためた「喪主挨拶」を、悔しさをこらえながら読み上げたのです。

「私も耀子と同じく事故の被害に遭いましたので、このような姿でのご挨拶となりますことをお許しください。

耀子は2008年の12月13日、葛飾区の病院で生まれました、私ども夫婦の一人娘でございます。

保育園、小学校の先生方、そしてたくさんの友達に可愛がっていいただき、ありがとうございました。スイミング、英会話、ピアノ、お囃子に太鼓、そこでも沢山の出会いがありました。最近では中学受験の準備に力が湧いていた矢先、今回の事故となり本当に残念でなりません。

皆様に可愛がっていただきながら、更に成長していく彼女の姿を見守り続けていきたい、当然それが叶うはずだと思っていましたが、娘の未来は、今回の事件で突然に奪われてしまいました。今はただただ無念でなりません。

耀子さんの勉強部屋は事故前のまま。壁に貼られたアトムのポスターは、父親が子供のころから大切にしていたという1枚だ(筆者撮影)

耀子さんの勉強部屋は事故前のまま。壁に貼られたアトムのポスターは、父親が子供のころから大切にしていたという1枚だ(筆者撮影)

■赤信号と知って交差点に進入「危険運転」ではないのか?

 お父さんは事故後、約1か月間の入院を余儀なくされました。お母さんはその間、一人では自宅に戻れず、知人の家にお世話になっていたと言います。

 また、両家の祖父母にとっても、耀子さんはたった一人の孫であり、その喪失感と悲しみは、計り知れないものがありました。

 お父さんが、職場に復帰したのは事故から3か月後、6月に入ってからです。しかし、耀子さんはもう戻ってこられないのに、自身のけがが少しずつ回復することが辛いといいます。

「警察には、私と娘の位置が左右逆だったら、娘は助かっていたかもしれないと言われました。娘を守ってやれなかったことが悔やまれて、そのことがいつも頭から離れません。なにより、娘の命を突然に奪われたことで、私自身の未来も生きがいをも失ってしまった気がするのです」

 加害者は運送業を自営で営む男性で、波多野さんの自宅からは車で30分程の場所に居住しています。
 しかし、この1年間、両親への直接の謝罪は「新型コロナウイルス」を理由に一切行われていません。波多野さん側からの問いかけに対しては、弁護士を通して、事故から3カ月後にやっと一通の手紙が送られてきただけだと言います。

事故現場には今も、耀子さんを偲ぶ人たちによってたくさんの花が供えられている(筆者撮影)

事故現場には今も、耀子さんを偲ぶ人たちによってたくさんの花が供えられている(筆者撮影)

 事故から3か月後、波多野さん夫妻の手元に届いた加害者からの手紙には、事故の状況についてこう書かれていました。

『今回の事故については、私が前方の路肩駐車車両を避けることに気を取られたことが原因で、信号が赤信号だったにもかかわらず、信号はまだ変わったばかりと思いこみ、横断歩道を通行中の波多野様にお怪我をさせてしまい、お嬢様の耀子様のお命を奪ってしまいました。なぜ信号に気がついたときに停車しなかったのか、己の軽率さ、考えの甘さが招いてしまったことの重大さを、深く深く反省しております』

 事故状況は加害車両のドライブレコーダーにも映っており、加害者側の信号は停止線の約40メートル手前ですでに赤となっていたそうです。つまり、この事故は信号の変わり目での交差点進入ではありません。

 お父さんはこう話します。

「加害者本人も手紙で『赤信号であると知っていて交差点に進入した』という内容の説明を書いています。これが危険運転ではなくて、何なのでしょうか。危険運転致死傷罪の要件である『殊更赤信号無視』の適用の可否を迷う理由がわかりません」

(*筆者注/信号無視について、危険運転致死傷罪の条文には『赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為』と記されており、こうした行為を行い人を負傷させた者は15年以下の懲役、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処することになっています。しかし、『過失運転致死傷罪』で起訴された場合は、罪が格段と軽くなるのです)

 3月24日、波多野さん夫妻は、耀子さんの命を奪い、お父さんに重傷を負わせた加害者がどのような罪状で起訴されるのか、そしてその理由についての説明を聞くため、弁護士と共に東京地検へ出向く予定です。

「直進の赤信号無視であるこの事故が、もし、『過失運転致死傷罪』で起訴されるのなら、『危険運転致死傷罪』という法律が何のために存在するのかが全くわかりません。私たち夫婦は大切な娘の命が奪われたこの事故の事実を世の中に広く知っていただき、明らかに危険な運転であっても『危険運転致死傷罪』が適用されないかもしれない交通事故被害者・遺族の苦しみを、皆さんに伝えていきたいと思います」

<参考記事>

★危険運転致死傷罪が適用される場合とは?(JAF)

小学2年生のときから稽古を続けていたお囃子で町内を練り歩く耀子さん(遺族提供)

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